9月22日、この度の台風18号による水害で甚大な被害に遭われた茨城県常総市に災害ボランティア活動に向かった。
*******************
常総市への道中、NPO法人の方より現地の説明を聞く。
これから向かう常総市十花町の辺りは最も浸水被害の酷かった地域であり、昨日辺りからようやく水が全て引いてきた場所であること、9/10に鬼怒川の堤防が決壊してから住民の方はずっと避難所で過ごし、ようやく片付けが始められたばかりであることなどが伝えられた。
直接現地に入り、即座に復旧活動が始められた。それぞれ数名ずつのチームに分かれ依頼のあったお宅へ向かう。
見渡す限りの広大な田園風景。本来なら稲刈りの時期であるが、稲は全て倒れてしまっている。家の2階まで水は迫り、水が引いて残った泥の跡から察すると、この十花町には2メートルを超える水が押し寄せてきたものと思われた。
地平線まで続く田園風景、この場所に水が押し寄せてきたなんて、想像することもできないほど圧倒的に開けた空間が広がっていた。
ニュースで上空から見た光景でも、鬼怒川東岸の広大な面積が水没してしまっていることは知っていたけれど、目の前に広がる景色は想像を超える景色だった。災害はやはり現地に行くことでしか、分からないことがある。
防災無線からは、「水海道地区の水道水については水質が安定しないため、飲まないでください」というアナウンスが流れていた。
辺り一面には収穫を間近にした田んぼからの稲が流れてきていた。籾に入った精米前の米が路面や塀などに付着し、ふと見上げると庭木のずいぶん高い場所に、流れ着いた稲ワラが引っかかっていた。
依頼のあったお宅には親戚の方が軽トラで駆けつけて下さり、搬出作業を行うことになっていたが、到着するまでの間、床下のヘドロを清掃することになった。大工さんが到着し床下を剥がすと、大量に水分を含んだヘドロが床下一面を覆っていた。水害から12日目になっても水は抜けきっていなかった。
大工さんも床下が乾かないと修理を始められず、乾くまでにはまだ1週間ほどかかるとのことだった。
水害で流れてきた泥にはウイルスや細菌が含まれており健康被害を及ぼすため、床下に潜り表面を削り取り、土のう袋に回収していった。
旦那さん、奥さんも一緒になって一心不乱に作業を行なっていく。
そして軽トラが到着しての搬出作業。
家の前にはどこから手をつけていいか迷うほど大小様々な家財道具、生活道具、様々な思い出が積まれていた。
水害被害は泥の災害と言われるように、水分を含んだ雑誌、段ボール、布などがヘドロと混ざり合い、強烈な臭いを発してしまっている。最後まで水が残ったこの地区は、水分がまだ全く抜けていない。
ヘドロが乾燥すると、今度は粉塵となり、それが舞い上がり、健康被害を及ぼす。
気温は29度まで上がったが、床下の泥上げや搬出作業中マスクは必須、終日外すことはなかった
食べ物や飲み物は持参していたが、お伺いしたお宅のおばあさんが、どこから調達したか、 お弁当やパン、冷たいガリガリ君、ぶどう、バナナ、チョコレート、貴重な水、消毒用のアルコールなど、本当に上げたらキリがないぐらいお持てなしをして下さった。
日常もままならず水道水もまだ使えない中、貴重なはずの水や、暑いからガリガリ君でもと差し出して下さった真心からの善意に対して、自分は何が返せるだろうかと考えた。これは何としても頑張らなくてはと気合が入った。
搬出をしていくうちに目標を立てた。
まずは臭いの発生源となる泥水を含んだ様々なものを片付けること。
そして今日中に地面にたどり着くこと。
それほどの量があった。
後で知ることだが、常総市で豪雨により現在までに廃棄された物の量は、すでに1年間の1.3倍の約2万4300トンに達しているそうだ。
仮置き場もパンク寸前であり、路上や公民館各所に設けられた集積所に大物家財以外を廃棄しているものの、それもパンク寸前でもう長くは持ちそうにない。
搬出作業中に廃棄される前のタンスから、写真が出てきたときのご家族の嬉しそうな表情や、庭の想い出の栗の木の話をするおばあさんのためにも頑張らなくてはと思った。
そしてついに、最後の搬出で地面が顔を出した。
まだまだ大量の搬出物があるし、これからまだ残された作業の数々や、心労で倒れられたご家族のことを察すると胸が詰まるような思いがする。
奥さんは何度も何度も「本当に本当にありがとうございます」と頭を繰り返しさげていらして、自分たちも同じように頭を下げていた。2階で療養中の息子さんが、「パチパチ、パチパチ」と短く拍手して下さった姿を見て、今日来れて本当に良かったと思った。
こういう状況下だから、険しい表情ではなくて、笑顔でいることに意味があると、最後は皆で笑顔でお別れをした。
心なしか来た時よりも空気が少し違うような気がした。
帰ってきて一晩経ち、昨日と今日の日常の差に、東北大震災の時と同じような気分になった。自分に何ができるだろうか。
今回主催のNPO法人の代表さんは1週間前に行かなければと思い立ち、今回急遽募集を決めたのだという。困ってる人が目の前にいる時に見て見ぬふりをしないその姿勢。改めて色々と勉強になった。
真心、思いやり、感謝、今回被災地で感じた心は、どれも本当に暖かかった。
これからも継続していきたい。
そして来年は黄金色に実った稲穂を見てみたいと心から思った。
*******************
常総市への道中、NPO法人の方より現地の説明を聞く。
これから向かう常総市十花町の辺りは最も浸水被害の酷かった地域であり、昨日辺りからようやく水が全て引いてきた場所であること、9/10に鬼怒川の堤防が決壊してから住民の方はずっと避難所で過ごし、ようやく片付けが始められたばかりであることなどが伝えられた。
直接現地に入り、即座に復旧活動が始められた。それぞれ数名ずつのチームに分かれ依頼のあったお宅へ向かう。
見渡す限りの広大な田園風景。本来なら稲刈りの時期であるが、稲は全て倒れてしまっている。家の2階まで水は迫り、水が引いて残った泥の跡から察すると、この十花町には2メートルを超える水が押し寄せてきたものと思われた。
地平線まで続く田園風景、この場所に水が押し寄せてきたなんて、想像することもできないほど圧倒的に開けた空間が広がっていた。
ニュースで上空から見た光景でも、鬼怒川東岸の広大な面積が水没してしまっていることは知っていたけれど、目の前に広がる景色は想像を超える景色だった。災害はやはり現地に行くことでしか、分からないことがある。
防災無線からは、「水海道地区の水道水については水質が安定しないため、飲まないでください」というアナウンスが流れていた。
辺り一面には収穫を間近にした田んぼからの稲が流れてきていた。籾に入った精米前の米が路面や塀などに付着し、ふと見上げると庭木のずいぶん高い場所に、流れ着いた稲ワラが引っかかっていた。
依頼のあったお宅には親戚の方が軽トラで駆けつけて下さり、搬出作業を行うことになっていたが、到着するまでの間、床下のヘドロを清掃することになった。大工さんが到着し床下を剥がすと、大量に水分を含んだヘドロが床下一面を覆っていた。水害から12日目になっても水は抜けきっていなかった。
大工さんも床下が乾かないと修理を始められず、乾くまでにはまだ1週間ほどかかるとのことだった。
水害で流れてきた泥にはウイルスや細菌が含まれており健康被害を及ぼすため、床下に潜り表面を削り取り、土のう袋に回収していった。
旦那さん、奥さんも一緒になって一心不乱に作業を行なっていく。
そして軽トラが到着しての搬出作業。
家の前にはどこから手をつけていいか迷うほど大小様々な家財道具、生活道具、様々な思い出が積まれていた。
水害被害は泥の災害と言われるように、水分を含んだ雑誌、段ボール、布などがヘドロと混ざり合い、強烈な臭いを発してしまっている。最後まで水が残ったこの地区は、水分がまだ全く抜けていない。
ヘドロが乾燥すると、今度は粉塵となり、それが舞い上がり、健康被害を及ぼす。
気温は29度まで上がったが、床下の泥上げや搬出作業中マスクは必須、終日外すことはなかった
食べ物や飲み物は持参していたが、お伺いしたお宅のおばあさんが、どこから調達したか、 お弁当やパン、冷たいガリガリ君、ぶどう、バナナ、チョコレート、貴重な水、消毒用のアルコールなど、本当に上げたらキリがないぐらいお持てなしをして下さった。
日常もままならず水道水もまだ使えない中、貴重なはずの水や、暑いからガリガリ君でもと差し出して下さった真心からの善意に対して、自分は何が返せるだろうかと考えた。これは何としても頑張らなくてはと気合が入った。
搬出をしていくうちに目標を立てた。
まずは臭いの発生源となる泥水を含んだ様々なものを片付けること。
そして今日中に地面にたどり着くこと。
それほどの量があった。
後で知ることだが、常総市で豪雨により現在までに廃棄された物の量は、すでに1年間の1.3倍の約2万4300トンに達しているそうだ。
仮置き場もパンク寸前であり、路上や公民館各所に設けられた集積所に大物家財以外を廃棄しているものの、それもパンク寸前でもう長くは持ちそうにない。
搬出作業中に廃棄される前のタンスから、写真が出てきたときのご家族の嬉しそうな表情や、庭の想い出の栗の木の話をするおばあさんのためにも頑張らなくてはと思った。
そしてついに、最後の搬出で地面が顔を出した。
まだまだ大量の搬出物があるし、これからまだ残された作業の数々や、心労で倒れられたご家族のことを察すると胸が詰まるような思いがする。
奥さんは何度も何度も「本当に本当にありがとうございます」と頭を繰り返しさげていらして、自分たちも同じように頭を下げていた。2階で療養中の息子さんが、「パチパチ、パチパチ」と短く拍手して下さった姿を見て、今日来れて本当に良かったと思った。
こういう状況下だから、険しい表情ではなくて、笑顔でいることに意味があると、最後は皆で笑顔でお別れをした。
心なしか来た時よりも空気が少し違うような気がした。
帰ってきて一晩経ち、昨日と今日の日常の差に、東北大震災の時と同じような気分になった。自分に何ができるだろうか。
今回主催のNPO法人の代表さんは1週間前に行かなければと思い立ち、今回急遽募集を決めたのだという。困ってる人が目の前にいる時に見て見ぬふりをしないその姿勢。改めて色々と勉強になった。
真心、思いやり、感謝、今回被災地で感じた心は、どれも本当に暖かかった。
これからも継続していきたい。
そして来年は黄金色に実った稲穂を見てみたいと心から思った。




