感情でモノゴトを考えるのはバカだ。
論理で考えたい。
母は肺がん。
「まつ、まつ」な感じになっている。
ホスピスに入って二週間。
どんどん弱っている。
人は100%死ぬ。
100%死ぬことを前提に考えると、
どんな死に方も幸せだと思う。
もう一回、繰り返す。
100%死ぬことを前提に考えると、
どんな死に方も幸せだと思う。
ピンピンコロリがイイ、なんて人が多いが
飛行機事故で若くして
・・・そうだな、20代で死ぬ
なんてのは?
最高のピンピンコロリ、だがどうだろう?
長生きがイイ?
そうだね、90ぐらいまで生きて死ぬ。
でも、あれだよ、大抵の90代はどっかボケてるよ。
それから、死ぬ手前は大概、数年寝たきり。
だから、90代まで生きて、ある朝ぽっくり
が理想なんだってばーーー。
そう?
そうなるとイイね。
でも、その確率は死ぬほど低い。
(死ぬのは100%だから、表現が微妙だけど)
元田を亡くして、母もやばいところ。
5年前、私が、すい臓がんになったことを振り返れば、
考えられない展開だね。
ロジカルに考えると
自らの死をコントロールできるのは
「自殺」のみ。
私を生かしてくださっている人様
そして、神様に申し訳ないので
自殺は考えられないなあ。
ま、多分、私は
しっかりがんの痛みに苦しんで死ぬのだろう。
いずれにしても「論理的」に考えれば
「死」に、いちゃもんをつけるのは、バカ=愚か者のすること。
ここ数日、ほぼ毎日の話だが
ホスピスに行って、
エレベーターを上がるとき、軽い吐き気をおぼえる。
一昨日よりも昨日
昨日よりも今日
そして、おそらく今日よりも明日。
日に日に弱っていく母を見るのはツラい。
病室では、ときに作り笑いが歪む。
感情に支配されている自分は
愚か者だ。
まあ、そんなことは、どうでもいい。
病室に行って考えるのは
母を喜ばせたい、ということ。
それだけ。
母は「人生は楽しかった」
と、感じてくれているだろうか?