一昨日、影響の輪と関心の輪について
書きました。

読書家の方なら
ご存知かもしれませんが
あれは、7つの習慣のパクリです。

身の回りのいろいろなことに
目を向け、イライラすること
こうありたい、と感じること
その他、様々な事柄を

これは、影響できることだろうか?

影響できないことだろうか?

と考え

影響できることで、重要なことには
自分の時間やおカネを注ぎます。


重要でないことには
影響しないことを選択します。



そして、影響できないことは
あきらめます。

というステップを踏むと
心が穏やかになります。





実は、ここまでの考え方が重要です。

がん患者に
笑え、明るくしろ、前向きに治療を行え

と言って、何故できない人と
できる人がいるのか?

の答えはココにあります。

自分の心の中にモヤモヤが
あるうちに笑え、と言われても
無理です。

意識する、意識しないにかかわらず
上記のステップを踏んだ人は

検査の結果が、悪かろうと
手術の結果が、悪かろうと
それを受け入れ、
前向きに治療することができます。

この、死、検査の結果、手術の結果、
は影響できないことです。





運動する。

友人と話して、笑う。

時に、友人のありがたさを感じて泣く。
(泣くことも、免疫系に良いらしい。)

これらは影響できることです。





玄米と野菜だけを食べるゲルソン療法。

野菜スープを飲む食事療法。

アガリスクなど。

これらは、私の場合
影響しないことを、選択したことです。


(これらのことが、
がんに効くか効かないか
私にはわかりません。
信じる者は、救われることも確かです。
ただ、私は
がん治療という、このゲームの中で
これらのアイテムを、装備しない、
ということを、選択しただけです。)






変えるべき 変えられることを 変える勇気を

変えられないもの を受け入れる平和を

そして、その区別をつける知恵を与えたまえ

ニーバーの祈り、として有名です。







それでも、

死を覚悟する。

ことができない方へ



私の場合は

モテたい。

と、思う部分

少しかっこつけて言うと

男として、
かっこ悪い死に方はしたくない。

と思う部分が、その

死を覚悟する

と言うことの原動力だった、
と以前書きました。





がん治療で
最もつらかったのは、食事を、
2か月食べられなかったこと、です。





私が、がん治療中に
最も悔しかったのは

術後、痛くて動けないときに
私よりはるかに、
小さくて、軽そうな女性の看護師さん
に看護されたことです。


私は体重80㎏。

今は、もうあまり外に出ることは、
ありませんが
肉体労働で鍛えた体があります。

体重45㎏以下の女性なら、
片手で持ち上げてみせます。

体重50㎏以下の女性なら、
軽々、お姫様抱っこできます。

体重55㎏以下の女性なら、
なんとか、お姫様抱っこできます。(汗)

体重80㎏の女性でも、
おんぶして病院まで運ぶことならできます。(汗、汗)


小柄な看護師さんに
看護されて悔しかったのは

普段の健康な状態なら、
オレのほうが助けなきゃ、
いけないのになあ。
ごめん。

と言うところです。

自分に悔しかった。

男性の中にはこの

オレ、かっこつけなきゃ

と言う気持ちがあると思います。


だから、
かっこ悪い死に方はしたくない
となるわけです。



ヒトのオスも本能の部分では、
交尾をしながら、メスに食われてしまう
カマキリのオスと
同じ部分があるのかもしれません。





女性が、
がん治療する場合でも
やはり
死を覚悟している。
という精神状態は、装備するべきです。

でも、
私にわからないのは、
男女間での死生観の違いです。




簡単に、男と女というふうに
区別してしまうわけには、いきませんが

男性の場合、どちらかと言うと
私の考えに近い方が、
多いのではないでしょうか?



考えても、女性の感覚はわかりません。

でも、本能に根差した部分に
その答えが、存在するような気がします。


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↑食べられたら、痛そう、というか死んじゃうので
食べられるのはイヤです。