若い時は、上司に
自分の意見が通らなかったり、
取引先に、冷たい扱いを
受けたりすることは、
しょっちゅうだった。


今、考えると、伝える努力を怠っていた
自分に責任があるのだが、
論理的には正しいのに、
なんで伝わらないんだろう?
と考えることもしばしば。


人は感情で判断するから、しょうがない。


年をとった、今ならわかる。



あの頃は、本当に毎日のように、
イライラしてたように思う。


自分より、社会的地位が上だったり、
上司だったりして


全く聞く耳を持ってくれず、
理不尽なことを言う人に
採ってた、ココロの中の対策。




今回の文章は、
尾籠な表現が含まれるので、
食事中の方、
そういう表現がキライな方は、
読むことを勧めません。


食事が食べられなくなっても、
私に賠償する術は、ありません。


ただ、女性の方で、
食事が、喉を通らなくなった方には
私に直接、ご連絡いただければ
特別に食事を
ご馳走させて
いただくこともございます。




その対策とは嫌なヤツがいて、
どうしても、かなわないヤツだったら
心の中でそいつが



ウンコを、漏らしそうに

なっている光景を想像する。

というものだ。




私見だが、
社会生活を営んでいて、
最大のピンチは
ウンコ
を漏らしそうになった時である。



私は中学・高校と寮生活を送っていた。


寮生活は時間に追われている。


寮生は150人ぐらい居るので、
朝のトイレは毎朝、行列である。


トイレは、出入り口が見えるので、
誰が入ったか
行列に並んでいるヤツは、
把握している。


あいつは、長グソ
(尾籠な表現で、本当に申し訳ありません)
と思われない為には、
出来るだけ早目に
用を足す必要がある。


中1から寮生活はスタートした。


高3で退寮になるまでに、私は、
トイレのドアを閉めて
用を足し
トイレから出て
手を洗うまで、
おおむね
1分
で終えるよう、
自らをトレーニングした。


だが、この習慣には
思わぬ副作用があった。


私は催すと、
すぐ、出したい
のだ。






博多駅にいても、
福岡空港にいても、
もちろん、羽田空港にいても
東京駅にいても
催したら
すぐ出したい。



私の場合、催したらすでに
ヤバイ
のだ。


催したら、トイレを捜す。


必死である。


たとえ、
最愛の彼女を暴行した男を
そこで発見したとしても


「そこで待っててくれないか?」
とお願いする。


トイレに着いて
行列ができていたら、
絶望
を感じつつ、
他のトイレを、頭の中で検索する。


検索してヒットしたら
そこまで、行く時間と待つ時間の
どちらが長いか?


その新しい候補のトイレに
どの程度の行列が、
できている可能性があるか?
について、素早く計算する。



ウンコが漏れそうになると
死にそう
とまで、思う。






すいがん、尿膜菅がん切除術の術後、

一度目の食事は、10日後に出た。
(次の食事から、すぐ中止になりました。)



重湯、具なし味噌汁、具なしコーンスープ。

水、水、水。

みたいな、食事である。


旨かった。


この世に、こんなに旨いものが、あるのか?
と思った。

空腹は最高の調味料。


食欲がない人に、私が勧める治療法は
絶食。


10日も食わなければ、
何でも旨い。


10日ぶりの食事は
30秒で完食した。


重湯も、味噌汁も、コーンスープも一気飲み。



この時、私の腹には、
ドレーンが6本、入っていた。


ドレーンとは管のこと。

すい臓の切断面から出る、
血液、消化液などの排液が
体内で悪さをしないため
排出する管のことだ。


ドレーンは、点滴台につながっており、
それをコロコロ押して、行動していた。



食事が終わって30秒。


急速に催した。


ウンコ、漏れそう(汗)


個室だったので、トイレまでは

ホンの5m程の距離。


慌てた。


ベッドから起き上がり、
裸足のまま
走った。


ドレーンが邪魔だ。


点滴台が邪魔だ。


浴衣の裾が邪魔だ。


その間、5秒。


メロスは走った。


トイレに着いた。


浴衣の裾をまくった。





漏らした(涙)





看護師さんが何も言わず、
片付けてくれた。


私は教訓を得た。





ウンコを漏らしても
死なない




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