コノ話の続きです。


生検が終わって私は、
ほうぼうに電話をかけた。

元田は、のけぞって祈っていた、そうだ。

「何で?」

と私が聞くと、

「お前のは背骨だっただろう?
だから」

根拠は不明である。

その後、奴は腰が抜けた。

らしい。



妻にも電話した。

「(転移だったら、延命治療ということを)
知っていたよ」

と妻。

心配を掛けたくない

というのと

仮に転移だったとしても、ゲームを

闘わなくてはならないので
言えなかった。

私はがん治療という
このゲームのリーダーだ。

たとえ、絶対絶命でも

「オレは勝つよ」

と笑って言えるリーダーに

私ならついて行きたい。




田中にも電話した。

転移病巣良性の診断で、

5年生存率は

ネガティブに見積もっても1%

ポジティブに見積もれば5%

になった、と伝えると

「大目玉なら楽勝さーーー」

とノー天気なコメントをくれた。

「退院したら、パチンコに行こうぜ」

と言うと

「オレはスロットのほうが、いいさーねー」

と相変わらずの素敵ぶりである。





私がQ大病院に入院したのは、4月2日。

月曜日で、新学期が始まる日だった。

同じ日に研修医のM君は、
医師免許を取って、初めての研修を
糖尿病内科でスタートさせた。

私は

「オレとM君は同期だね。」
と言っていたが、

M君が私を同期だと
思っていたかどうかは、定かでない。

当時、私は体重90㎏。
M君も似たようなものだ。
同じデブ同志、妙に気が合った。

M君が私と、気が合ったと
考えていたかどうかも、定かではない。

M君は、毎日、私の病室に(遊びに)来た。

「大目玉さんは
大きな病気の経験はありますか?」

と聞くから

1日目は
「あれは25年前、
あの時の病はひどかった・・・。」と

高校生の時の
20歳年上の人妻にした恋わずらい。

2日目は
「あれは20年前、
あの時の病もひどかった・・・。」と

ハタチの頃の同級生への恋わずらい。

3日目に「あれは15年前・・・」

と言いかけたら、

「もう、恋わずらいの話は
いいですから、何かネタをください。」
と。

私が言おうとすることがわかるとは

さすが、ダテにQ大の医学部出てないな。

毎日、カルテに
いろいろねつ造して書いていたが

もう書けることがないらしい。

この頃、私は血糖値も下がっていたので

「健康なんだからしょうがないじゃん。

早く退院させるように、
(指導医のセンセに)頼んでよ」

とM君を悩ませていた。


ある日、M君は

「採血をします。」

と注射セットを病室に持ってきた。

「ところで、M君。注射は何回目?」

と聞くと

「初めてです。」

力強く言うM君。

そりゃ、入局して
初めて担当した患者が、私だからね。

「M君。そういう時は、
2~3回目かなーーー???
とか言うんだぜ」

とオトナが、つくべきウソについて教えた。

2~3日後。

「今日はルートを取ります」

ルートとは点滴の為の注射のことで、
採血より数倍痛い。

「M君、ルートを取るのは何回目?」

「2~3回目かなーーー???」

とM君。

目が泳いでいる。

わかりやすい男のほうが
つきあいやすい。

採血とルート、
彼の注射の筆おろしが
済んだ頃、がんは発覚した。

続く

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