コノ話の続きです。



よく、

がんになったら自分はあきらめる

キレイに死ねるならいいじゃないか。

という人を見かけるが、間違っている。




がんの死に方は、そんなにきれいなものではない。

ガリガリに痩せ、メシも食えず、痛みに呻く
というのが実態である。

現場に、美しさ、生命の尊厳などない。


転移が発見されてからも、
私はどうすれば、治すことができるか?

その道を模索した。


Q大の医師、看護師のみなさんは
本当によく協力してくれた。


例えば、転移の告知を受けた後、
私は熊本に走ったが、
主治医のD先生、当夜の担当看護師さんは

一言も、

「今日は困る。」

とは言わなかった。

外出先で、私に、もしものことがあれば、
D先生の責任問題である。

ましてや、私はまだ、
ち〇ちんの先から管が入っていた。

それでも、全面的に協力して
私を送り出してくれた。

感謝している。





さて、転移が発見された、とのことで、
私はまず、内科の受診をすることになった。


内科のO先生に、
「オレ、最悪、一番、早かったら
どのくらいで死にますか?」
と聞いた。

「うーん、余命ってものすごく難しいんですよ。」

「ヒトによってずいぶん違いますしね。」

と、なかなか答えようとしなかったが

私のしつこさに負けたのか

「そうですね、3か月ぐらいですかね?」

と答えた。


「ところで、先生。オレは糖尿で入院したから
たまたま、がんが見つかったけれど、
入院してなくて見つからなかったら
いつ頃、痛みとかそういうのが、発現してますかね?」

と聞いた。

「そうですねえ、すい臓は痛みが出るまで後、
2年はかかるだろうし、
専門外だからよくわかんないけど
膀胱のほうも、2年ぐらいかな?
一番早いのは、骨だろうけど
それでも半年ぐらい先なんじゃないですか?」


センセ、矛盾してますよ。

半年先に痛みが出るのに
3か月先には死ぬことになってる。


これは、医師が悪いのではない。
医療の限界なのだ。
がんを告知すると


がん患者


になってしまう人がいる。

つまり、精神を病み、悪い方向に考え、
自分で自分の病気を
悪くする人たちがいるということだ。


そういう考えであれば、
早死にするかもしれないということだ。


私の神経はそんなに細くない。


2年は生きる予定が立った。


さらに、ここで、このO先生から提案があった。

「転移巣はまだ、がんかどうか
はっきりわかんないので
生検をしてみましょうか?」

という提案である。

「でも、あの場所は生検できるのかな?
整形外科に聞いてみないと・・・。」

生検というのは組織を直接とって、
顕微鏡で確認するということだ。







私の、骨の腫瘍の場所は
非常に難しいところにあった。

心臓の真ん前ぐらいのところだ。

生検の時は当然のことだが、
直接ハリを入れなければならない。

前側からだと、肺と心臓が邪魔になる。

心臓に刺さったら、痛そう。

じゃなくて、

死んじゃいそう。

が、後ろ側からだと、背骨には脊髄が走っており、
ハリが背骨の真ん中を、通過することはできない。

だが整形外科の先生は、こともなげに

「(生検が)できますよ。」

と答えた。

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