私は子供の頃からあまり器用ではありませんでした。

が、大人になるにつれて更に不器用になってきました

 

物をよく落とすんです。

細かい作業がとても苦手です。

菜箸で物をつかむのがめちゃくちゃヘタクソです。

ご飯を混ぜるのがすさまじく下手です。

 

なんですが、ドラムは叩けます。

タイピングも決して遅くはありません。

車の運転も普通にできます。

アスレチックとか大好きだし大得意です。

 

なので、不器用ってどういうことだ……? という疑問がずっとありました。

 

何がキッカケかは覚えてないんですが、最近この不器用という言葉の意味は、もしかして「力加減が下手」という意味なのでは、というのが思い浮かびました。

私はONとOFFを切り替えるのはできるのですが、適度にとか、ちょうどよくとか、ちょっと弱くやちょっと強くとかができません。

ゆるゆるかガチガチのどっちかであることが多いです。

 

それは特に、指先を使うものが顕著です。

なので、指先の延長である菜箸が本当に苦手。

強すぎて箸先がズレちゃうか、弱すぎてつかめないかのどっちかなんです。

トングも割と力を入れすぎてうまくつかめないか、落っことすことが多い。

なのでパン屋でパンをとるときとかすごく緊張します。

 

 

そしてこの不器用さは、力加減に限らず、物事の加減がヘタクソすぎるというところも含む気がします。

「やる」か「やらない」のどちらかしか選択肢がないことが多い。

物事の合間が極端に少ないんです。

 

とはいえ0か100ではない気もしてます。

ぶっちゃけ0か100の方が楽ですけど。

0と10はあるけどその次は90と100しかない、みたいな感じです。

40とか70とか感覚的にわからない。

私はよく自分の事を「脳が不器用」と言うのですが、物事の加減が苦手って意味だったようです。

 

力加減って感覚的なものなので、微調整が難しいと感じるんですが、そうでない人の方が世の中には多いみたいで、やはり自分は周りの人達より劣っているなぁと思うことが今でも多い。
周りの人達は見えてるけど自分が見えてないことも多いし、思いつく選択肢の数はとても少ない。
余白が少なすぎて思考が省エネなんだろうなーと最近思いました。
なぜなら疲れているときや過密なときほど「いつもと同じ」が増えるからです。
 
処理能力(CPU)が低いのではなく、作業できる量(メモリ)が少ないんだなーと。
 
なので「同じこと」が私は大好きです。
「繰り返す」のも大好きです。
メモリの消費がゆるやかなので。
 
なので「いつもと同じ」を「いつも繰り返す」というのが最高に落ち着きます
余裕があったら「小さな変化をちょっと取り入れて繰り返して省エネ運用できるか試す」とかがデフォですね。
省エネ運用できないことはやらなくなります。
チャレンジはとても苦手ですが、どんなに難しいことやおかしなことでも定着したら苦じゃないです。
省エネ化することに特化してるのかもしれませんね。
 
こういうところがどことなくASD、発達障害っぽいなーと感じるんですが、これレベルの不器用な人ってのは、もしかしたらそんなに珍しくはないのかもしれないですね。
だとしたら、いわゆる健常者と言われてる人の方が、もしかしたら少数派なのかもしれないなぁとも思います。