今日も前回に続き、言葉について書きます。

 

このところ自分を大切にするとか、自分に優しくするとか、自分を満たすとかがわからなくなってしまって、そういうことについて調べてたら、とあるブログにたどり着きました。

たどり着いた記事はこちら。

 

私もこのブログの方と同じように、無理しないってことは楽するってことで、でも楽するのは良くないことで、無理ができるように『無理してでも』休まなきゃ、と思うようなところがあり、この記事が私の感覚を言語化してくれた感じがして「わかる!それ!」という感じで嬉しくなりました。

 

そういう人の記事は大抵他の記事も感覚に合うことが多いのでいろいろ読んでみて、言葉に関する記事がとても印象的だったので、私も言葉についてもうちょっと書こうと思いました。

そのブログの言葉についての記事はこちら。

 

 

この記事の半ばくらいで「言葉を正しく使おうという論」にツッコミをいれているところがとても納得でした。

 

特に「頑張ってる人に頑張ってと言ってはいけないの意味がわからん」というやつ。

なぜなら、私がよく「が……(んばってと言ってはいけないんだった、他の適切な言葉はなんだろう……あ、でももう声かけないと行ってしまう……なんか言わなければ……!)健闘を祈る!」というやや意味不明な声掛けをしてしまうからです。

それが地味にしんどい。

浮かんできた言葉を、なぜ言ってはいけないのかわからない上に納得いかない状態で飲み込んで別の、本当に伝えたい事と意味が違う言葉に置き換えないといけない、というのが釈然としなさ過ぎてストレスなんです。

 

私がこういうとき伝えたいの「上手くいくといいね! いい結果になるといいね! 全力出せるといいね! グッドラック!」って感じのメッセージです。

これを要約するとなぜか「がんばってね!」になるのは不思議と言えば不思議ですが、言葉って元々そういうものかもなーとも思いました。

額面通りに言葉を受け取るのは、ある意味、思考の放棄でもあるのかな、と。

言葉の意味ではなく、その言葉を発した意味を考えることが、対話というものなのかな、と。

 

 

話す側と聞く側、どちらかだけでも上手だったら会話はけっこうスムーズに進むようです。
会話がスムーズに進まない時は「話す側も聞く側も下手」ということになります。
もしくは言葉の認識パターンがズレまくっている、というケース。
 
私は決してどちらも上手い方ではないと思うのですが、私より下手だなーと感じる人には総じて同じ特徴がありました。
それは『言葉の解釈の幅が狭い』というものです。
上で紹介した記事にも書いてあるように「言葉は定義が1つではなくて、ゆるやかに内包する意味がいくつかある。」のですが、言葉の扱いが下手な人は「相手の言葉が自分の解釈にピッタリはまらないと受け取らない」傾向があるなと感じました。
そういう人はえてして「話すときに主語がない」とか「感覚をあまり言葉にできない」といった特徴もある気がします。
 
言葉の解釈というのは思考なので、解釈の幅がないということは「思考する能力が低い」か「思考することを怠けている」んだろうなと私は思っています。
想像したり想定したり、足りない情報を予想して質問したりというのは思考なので、そこそこ疲れることではあるかと思います。
なのでそもそも疲れてる時はロクな会話ができなくても仕方ないのですが、普段からあまり思考しない人もいるようです。
それでも対話ができているときは、相手のサポートがすごいってことです。
 
 
言葉を額面通りに受け取る、というのは、コミュニケーションとしてはあまりメジャーなことではないと私は思っています。
同じ言葉でも、その言葉を投げかけた人と投げかけられた人の関係性でも意味はかわるし、状況や環境でも意味が変わるので、言葉の意味ではなく「その人がその言葉を使って伝えたい事」を受け取る、せめて受け取れるように思考する必要があると思っています。
言う側の言葉を選ぶ責任が重いとしたら、受け取る側の解釈の責任も重いハズです。
昨今はいろんな言葉にクレームをつけられている感じがして、とても窮屈です。
 
例えば「fuck」という言葉がありますが、これは攻撃的に使う場合もあれば感嘆として使うこともあり、強調として使う時もあります。
しかしこの言葉は良くないとされています。
それはどことなく、悪い意味で受け取る人に配慮して、モメるのがめんどうだから言葉ごと封じてしまえ、という安易な手段のように私は感じました。
言葉や物事を悪く受け取る人は大抵声がでかくて攻撃的です。
攻撃的な人が、攻撃的な言葉を攻撃して殺しているとしたら、あまりにも滑稽です。
私はなんとなくこの「fuck」という言葉が好きです。
言葉を強調するとても強力な言葉だからです。
 
 
言葉の解釈はある意味では自由です。
額面通りに受け取ってもいいですし、深読みしてもいいわけです。
ただ、言う側が額面通りに受け取ることを期待しているのか、深読み前提で言っているのかを「思考する」必要はあると思っています。
深読み前提型の人は、額面通りに受け取るのがとても難しく、額面通りに受け取るのが通常の人は、言葉の真意を推測するのがとても難しいのだろうなと感じています。
これは発言するときも同様です。
 
私はけっこう深読みがデフォルトなので、なぜ額面通りに言葉を受け取らないんだと言われるととても困ります。
子供の頃はむしろ言葉の裏や真意がわからない、というかそんなものがあることすら理解できていなかったので学校で孤立したりもしましたが、性別の悩みをキッカケに心理学を学び始めてから、むしろ深読みしないのが難しい、という感じになってきました。
というか、その方が会話がしやすいということに気付いた感じですね。
コミュニケーションの中の嘘や誇張や虚飾の意図に目を向けることで、その人の真意が見えてくるというのもおもしろいなと思います。
 
いずれにしろ、言葉の解釈はできるだけ絞らない方がいいなぁと思いました。