前回の記事で書ききれなかったので引き続き、日本の婚姻制度上の不貞行為(不倫)について書きます。
 
ところで、浮気と不倫って何が違うんでしょうか?
と思って調べてみたところ、単純に「結婚してる人が他の人とセックスしたら不倫、結婚してなかったら浮気」ということらしいですね。行為自体は一緒やん。
浮気と不倫について調べてると、弁護士関係のホームページばかりヒットするのですが、おそらく相当儲かるのでしょうねぇ。
悪い弁護士がいれば、配偶者とのセックスを拒否し続けて配偶者が他の人とセックスするように仕向けさせて、証拠を手に入れて慰謝料請求、というマッチポンプ訴訟もできそうですね。
 
それはさておき、みなさんは配偶者を選んだ明確な理由がありますか?
もしくは、どんな人と結婚したいか、という理想はありますか?
私は「自分の特殊な性別の事情をあまり重要視せずに接してくれるから、そういう人は稀だから」という理由が一番大きかったかと思います。
そういう人と暮らすのが自分にとって楽だろう、と思ったわけですね。
これがそのときの私が一番重要視していた要素なのだと思います。なので合理的に判断して結婚したのだと思いますが、好きとか魅力的とか、そういう感覚よくわからなかったので、理性的には結婚へGOでしたが、感情的にもGOだったわけではないと思います。
この結婚が結果的に良い選択肢だったのかどうかはまだわかりません。
良い選択だったということにできるかどうかは今後次第かと思っています。
 
もし結婚相手として相手を選んだ理由が『双方共に』相手が性的に魅力的だから、という場合でなければ、遅かれ早かれセックスの問題は浮上するでしょう。
そしてそういう理由で相手を選ぶ人は日本ではとても少ないと思います。
なぜなら、性的魅力でパートナーを選ぶことは悪、というような風潮があるからかと。
というか、性的なこと=悪、という謎の性嫌悪が普及してるからですかね。。
創作でもよく「体が目当てだったの!?」と相手を詰るシーンがありますが、体が目当ての何が悪いのか私にはわかりません。
体もとめられてるだけマシじゃね? と思ってしまいます。
逆に、何が目的なら善なのでしょうね。
自分が相手にとって都合のいい存在であるのが嫌だということなのでしょうが、自分にとっても相手が都合がいいから一緒にいるという部分を清々しいほど棚上げしてんなーと思いました。
 
例えば共通の趣味がある、何かの好みが似てる、一緒に楽しめる何かがある、気張らずに過ごせるから気が楽、これらの要素と「セックスの相性がいい」というのは、同列の要素だと思ってます。
セックスだけを特別視しすぎです。
性的に魅力的で、安定した経済力があって、攻撃的な要素がなく、家事スキルがあって、自分が困るようなこだわりがなく、お酒もタバコもギャンブルもせず物欲に乏しく、奉仕的で献身的で自己犠牲的で、性欲は自分がしたいときにだけ、自分に対してだけ向けてくる、そんな人はいません。
もし仮にそんな人がいたとしたら、半端じゃない競争率だと思います。
少なくとも私はそんな人にはなれないし、そんな人いたら怖いです。
 
私は一緒に暮らしていく上で一番大事なのは「お金」で、二番目に大事なのが「自己管理(主に心身の健康)」だと思っています。
なおかつ、自分が不得意なことを相手が得意だったら嬉しい、とは思います。私の場合は料理ですね。
なので、セックスに関するパートナーへの期待は限りなく低いです。
私は、一緒に暮らす=一緒に会社を経営する、という考えなので、性的魅力は後回しになっています。
それが良いかどうかはわかりません、そこはみんなそれぞれに「優先事項」があるはずなので。
でも、割と私みたいに考えている人は多いのではないでしょうか。
家は安全地帯であってほしいし、パートナーにとっても安全と感じられる場所であってほしいですからね。
 
という考え方だと、意外とよく見かけるこの状態になります。
配偶者とセックスはしたくないけど離婚したいわけじゃないからセックスだけ他で誰かとしてきてくんないかな……」
この状態になると、やりたくない側が「やりたくないけどセックスしてやった、セックスさせてやった」という意識になります。
やりたい側は「配偶者としかしちゃいけないからあなたを求めてるのに『させてやった』って何様だよ」という意識になります。
これは互いに、ある共通する意識があります。
「配偶者としかセックスしちゃいけないという枠にいるけど、配偶者とだけセックスしたいと自分は思っていない」ということです。
やりたい側が、配偶者とだけしたい!配偶者としたい! って感じだったら、おそらく何様だよ、とは思わないでしょう。
ごめんね、ありがとう、でももっとしたいんだよな……ってなるでしょう、おそらく。
いずれにしろ、相手の求めてるものを自分が提供できない(セックスを提供できない、セックスしないを提供できない)ということに変わりはありません。
この状態を見て見ぬフリし続けると、互いに我慢と抑圧となにより罪悪感が続くので、だんだん相手を嫌いになるか、相手が自分を嫌いなんだと思うようになります。
その結果、合わないのはセックスの部分だけかもしれないのに、何もかもが気に入らないという風になり、弁護士の懐を暖めるか後味の悪い別れ方をするか、不満で不服なまま一生を終えることになる可能性もあります。
 
これの問題は、枠です。
 
「結婚したら配偶者以外とセックスしてはいけない」の枠が問題です。
そして日本人が持ちがちな「恋愛と性欲と愛情は一つのものである」という誤認です。
 
セックスしたくない=愛してない、ではないです。
逆に、愛してる=セックスしたい、でもないです。
 
セックスしたい=セックスしたい、です。
愛してる=愛してる、です。
 
愛してる=一緒に暮らしていくのに適してる、でもないです。
一緒に暮らしていくのに適してる=一緒にくらしていくのに適してる、です。
 
個々の要素は何ともつながってません。
重なりはするでしょうが、すべて別々です。
なので、配偶者とセックスしたくないけど一緒に暮らしていきたい、は何もおかしなことはないです。
セックスできないなら一緒に暮らしていきたくない、も何もおかしなことはないです。
優先順位の違いです、そこに優劣や善悪はありません。
経済的な安定性を最重要と考える人もいれば、だらしないけどこっちも家事がんばらなくていいから楽、を重要と考える人もいるでしょうし、互いに別々の趣味をもっていてそれにとやかく言わない、を優先する人もいれば、セックスの相性とタイミングのよさを最重要とする人もいるでしょう。
自分が何を提供できて、何を妥協できるか。相手が何を提供してくれそうで、何を妥協してくれそうか。
そのマッチングがうまくいってる夫婦が、仲良しで長続きする夫婦なのでしょう。
オープンマリッジで仲良くできてる夫婦も、別居で仲良くできてる夫婦も、一緒に暮らして仲良くできてる夫婦も、本質的には同じです。
いずれも一緒に暮らして険悪な夫婦より良いと思います。
一緒に暮らして仲良くできる夫婦がベスト、最強、ということもありません。
理想の形なんてものは夫婦(家族)が決めるものなので、世間や社会が決めるものじゃないです。
それを当たり前のように押し付けられたら「そんなものはいらん」でいいです。
 
 
とはいえ配偶者に「あなたとセックスしたいと思えない、だからできれば(今は)セックスしたくない」と伝えるのはかなりの勇気がいると思います。
(今は)とくくってあるのは、逆にこれを伝えることで抑圧や罪悪感が減ってセックスできるようになる可能性もあるし、この状態がどれくらい続くかは自分にもわからないからです。
これを伝えるということは、セックスという点において相手を拒絶する、ということです。
ここで「自分の全てを否定された、拒絶された」と感じてしまう人は、大変危険なことをしています。
『配偶者が自分を性的に受け入れること』に自分の尊厳の大部分か全部を載せているということです。
 
配偶者が自分とのセックスを望んでない、というのは、配偶者が自分とのセックスを望んでないというだけのことです。
これに余計なものがくっついている場合、それは自分が自分に対して思っているネガティブな要素です。
相手が思ってることじゃありません。相手はそんなこと言ってないですから。
 
理由はいろいろあるかもしれません。
見た目に魅力を感じない、セックスのスタイルや嗜好が合わない、声や匂いに自分が性的に感応しない、それよりもやりたいことや、やらなければいけないことがある、反応がつまらないから楽しくない、なんとなく気恥ずかしい、過去に嫌な思いをした、などなど多種多様かと。
でもそれはあくまでも「配偶者にとって」そうだというだけで、他の全ての人がそうだと断言することはおそらく誰にもできません
ショックを受けることもあるでしょうし、悲しいとか悔しいとか思うこともあるでしょうが、相手の感覚に文句をつけてもどうにもなりません。
この人にとってはそうなのか、と受け取れば十分かと思います。
もう一度書きますが、これと違う要素を勝手に束ねて「自分とセックスしたくないということは自分の事を愛してない、嫌いなんだ」とか考えるのは間違っています。
セックスのことはセックスのことだけとして認識した方がいいです
セックスには愛情や尊厳が『誰でも最初からいつも必ず』くっついているわけではないです。
自分がそれらをくっつけてるからといって、相手もくっつけてるとは限りません。
 
 
配偶者が自分以外の人とセックスするのは嫌で当たり前、という言葉を見聞きしますが、これは当たり前ではないと思います。
ただその人が、配偶者が自分以外の人とセックスするのが嫌だと感じる人、というだけです。
好きな人を占有したい、と思うのは当たり前と言っても差し支えないと思います。これはただの感情なので。
感情は自己中心的で相手のことを考慮してないものなので、占有したいと思うのは自然です。
配偶者のことが性的に好きだから、自分以外の人とセックスするのが嫌、自分が占有したい、というのであれば自然です。
夫婦双方がこの状態なら、互いで互いを満たし合えるので他の人とセックスする必要がなくなるため、レスや不倫とは縁ができにくいでしょう。
 
配偶者が自分を性的に求めないことで、自分が大事にされていない、と感じる人が多そうですが、一方で世間や社会は「相手を大切に思ってるなら安易に体を求めてはいけません」みたいに喧伝してます。
矛盾してますね。
そしてこの「安易に」の基準も皆違うので、自分の物差しと違えば「自分を大事にしてくれない」と感じるわけです。
大抵、相手が自分を大事にしてくれないと嘆く人は、自分も相手を大事にしていません。
そもそも相手が自分を大事にすべきだ、という前提が危険です。
自分を大事にすることは、まず自分がやるべきです。
性的に自分を大事にする、というのは「したくないならしない」「したいならする」「したくないと表明する」「したいと表明する」「自分の気持ちを他人に左右させない」「恥じない」「罪だと断じない」などがあるかと思います。
自分を大事にするというのはすごく包括的な言葉なので解釈の幅が広すぎますが、私はこれは「受け入れる・認める・許す」だと思ってます。
自分にこれができれば、相手にもできます。
そうなったとき、選択肢はなくなり、以下のような気持に私はなりました。
 
自分があなたとセックスしたいときにできたら嬉しいが、無理してしなくてもいい。
私があなたとセックスしたくないときはできない。
あなたに無理をしてほしくないから私も無理はしない。
私があなたの求めるものを提供できないのであれば、あなたは私以外に求めてもいい。
私もあなたが提供できないものを求めているときは、他の人に求めることもする。
 
これに絡んでくる「お金」や「時間」については夫婦間で話し合って決めればいいと思います。
セックスを外注するようなものなので、そこにかけるコストは家庭の運営を脅かさないようにする必要があります。
時間もそうです。
家族は家庭を運営するリソースなので、いつでも好きなように好きなだけというわけにはいきません。
セックス以外の分野でこういう事務的な取り組みができてる夫婦は話が早いでしょう。
できてない夫婦はうーん、まず本心を明らかにしても安心、安全な場所づくりからですかね。
依存していては自己開示は難しいでしょう、恐ろしいでしょうから。
 
あとこれを片方だけの特権扱いにしない方がいいです。
私は他の人とセックスするけどあなたはしてはいけない、はダメだと思います。
あなたが他の人とセックスするのはいいけど、私は他の人相手にするつもりもないからあなたを特別自由にさせてあげてるんだからその分何か(金や時間)をよこせ、というのもダメです。
自由にさせてあげてるなら、自分も自由にさせてもらってる、です。
やる自由があるけどやらない、やる自由があるからやる、これは対等です。
配偶者以外のパートナーを作るか作らないかと、作ってもいい状態でいるか作ってはいけない状態でいるかは別です
自分が作ってもいい状態なら、相手も作っていい状態です。
そのうえで、必要だから作るのと、必要ないから作らない、はどちらも同じです。
 
これがいわゆる、オープン・マリッジ、なのかなと思います。
 
自分と相手から自由を奪うのが結婚だとしたら、それで互いにハッピーになれる夫婦は本当に極々稀だと思いますし、まったく当たり前の存在ではありません。
そんなSSR夫婦が世の中の常識、みたいになってますけど、SSRじゃないとダメな社会は無理です。私には無理。
なので、他人の不貞行為をとやかく言うよりも、自分と相手の関係性について真剣に考えて、自分の気持ちを掘り下げていって、自分で自分をどうやって大事にするかを検討した方が有意義だと思います。
不貞行為なんてのは、嫉妬深いどっかの誰かが昔作ったエゴ価値観にすぎないのでは、と私は思ってます。
そんな言葉で自分や相手の人生をがっちり囲い込んでも幸せにはなれない気がします。
 
 
そんなわけで、不貞行為についての2番目の記事でした。
だいぶ書きたいこと書けて満足したので一旦これにて。