なんだかここ1~2年の間、とかく不倫に関するニュースが多い気がします。
創作物や相談、愚痴などもそういう視点でよく見てみると浮気や不倫のエピソードがめちゃめちゃ多いことに気づきました。
そして同様に、卒婚という言葉を目にするようになり、セックスレスの話もかなり見かけるようになった気がします。
加えて自分たち夫婦のことや、周囲の夫婦の状況、独身でいる人などの情報を集約して思いました。
 
日本の婚姻制度って、歪じゃない?
 
要素ごとに挙げていったらすごく多くなってしまうので、今回は不貞行為と言われている部分についてのみ取り上げようと思います。
というか、正直ここが一番歪なところではないかと思います。
 
最初に表明しておきますが、私は「配偶者が自分の意思で自分以外の相手と性行為をすること」を不貞だとは認識していません。
これは「配偶者が風俗を利用する」「配偶者が自分以外の誰かに恋愛感情を抱く」も同様です。
性を何か別のものに置き換えられないかと考えたとき、一番近いなーと思ったのが「食」でした。
なのでこれらを食に置き換えてみると、
「配偶者が自分の意思で自分以外の相手と食事をする、自分以外の相手の提供する食事を楽しむ」
が近いかな? と思いました。
性だろうと食だろうと配偶者が自分以外の相手と何かを共有しているのが気に入らない、という方はそもそも相手を対等と扱っていないか、自分の自尊心に大きな問題があると思うので、まず自分の問題をどうにかしないと、この話は意味わからないと思います。
 
どうすれば自分の渇望が満たされるのか、焦燥感を穏やかにできるのか、いろいろと悩み、ダメなことではないことで代替できないだろうか、と考えながら、そもそも何故? 何を求めているのか? と、もっと根の方に目を向けたところ、どれも突き詰めれば結局「欲しい」「やりたい」「充足したい」「安定したい」といった気持ちだよなーと思いました。
その根から出てる枝の形や向きがみんな違うので、何が欲しいか、何をしたいか、何で充足するのかは、皆違うわけです。
これに全人類共通のものはないと思います。
生きるためにデフォルトで必要な食と睡眠も、苦痛な人がいます。私は子供の頃そうでした。
 
 
つまり、性行為も同じだということです。
他の欲とは違う特別なナニカではないのです。
性に関する欲は、恋愛感情や、愛情とはまったく違うもので、それぞれが重なる部分もあるでしょうがまったく重ならないこともあります。
そしてそれは、一貫していません。
経験や境遇、加齢や価値観の変化で変わります。
好物が変わるのと同じです。
 
それを無理やり限定した枠の中に押し込むのが、今の婚姻という制度だと思います。
もちろんそれがちょうどいい、という人もいるでしょう。
ただし、それがちょうどよくない人もいる中で、ちょうどいい人同士が結びつく確率はかなり低いと思います。
だから浮気や不倫は過去から現在に至るまで世界中で存在し続けているのです。
もはや結婚と不倫は共存する概念だとすら思います。
 
ちょうどいい人たちは満たされているので問題ないのかもしれませんが、ちょうどよくない人たちは「無意識にちょうどよくしよう」とするでしょう。
それを理屈で抑え込むために、要するに我慢を正当化して納得するために「法や規則」を使います。自分を納得させるために使います。
その結果、年がら年中我慢してるわけなので、我慢していない人(不倫してる人)を見つけると、自分はこんなに我慢してるのに!!と怒りが湧くのでしょう。
自分は律義に赤信号で立ち止まってるのに平気で信号無視する人を見るとなんかモヤるのの過激なバージョンかなと。
 
不倫許すまじ!!!っていう人のほとんどは、不倫したいんじゃないかなと思います。
その、本当は不倫したい(配偶者以外と恋やセックスをしたい)という気持ちを持つこと自体も禁じて抑圧してるので、気持ちを抑圧していない+行動して満たされている、という羨ましいが二乗されて世間はこんなに炎上してるんだろうなと思いました。
私は高級車が嫌いなんですが、それは高級車が買えるほど余裕のある収入をもらってる人が羨ましい、なんですよ。
だから金持ちは嫌いです。私がなりたいのになれないから。その自分の中で判断しやすい材料が高級車なだけ。
 
実害を受けていないのにムカつくのは羨ましいからなんですよ。
 
そういえばセックスレス率が日本はダントツで高いらしいですが、配偶者のセックスの相手はしたくないが、配偶者が他の誰かとセックスするのも許さん、というのが許されているのが不思議です。
これをお金として考えてみると、「生活費が足りなくてもこれ以上提供しないが別で収入を得るのも許さん」ということかな。
不満足(不便)でも耐えろ、勝手に満たされようとすることは許さん、そして要求もするな、ということですね。
大げさに見えるかもしれませんが、耐える側からしたらこういう感じだと思います。
耐える側と耐えさせる側と経験したらわかると思います。
 
 
さて、こうして見ると、この縛りに意味があるのか? という疑問がわきます。
回答は簡単です、意味なんてありません。
これは縛る側のただの「気分」です。
そして縛る側にもいろいろあるのではないかと思います。
私は自分が縛る側だったときは「他の人とセックスしたら嫌だと思ってるということにしないと、愛してないとか言われそうだしな」って思ってました。
パートナーが自分以外と触れ合うのが生理的に嫌だとかいう人もいるみたいですが、私はその感覚がないのでよくわかりません。
予想ですが、そういう人は単に自分が誰かと触れ合うのが嫌なだけなのではないかと。ともすればパートナーと触れ合うのも嫌なのではないかと。
愛情と性欲は無関係ではなくても、それぞれはまっっったく別のものなのに、二つで一つみたいにみんな思ってるのは某十字架教のせいだろうなと思います。
仮に愛情と性欲が一緒のものなら、子供がかわいい親は全員子供とセックスしたがってるってことになりますし。
それとこれとは別だ、と思われるでしょうが、その通りです。
それ(愛情)とこれ(性欲)は別です。
 
恋愛感情は長くても2~3年で減衰する、と言わているのは、実際にそういうデータがあるからだと思うのですが、私はもっと短いと思います。
なので、夫婦で互いがずっと好き、というのはある意味バグってる稀なケースなのかなと。
じゃぁお互いに恋をしてるわけじゃない夫婦はなんで一緒にいるんだよ、と思うのですが、これは単純に合理性ではないかと。
婚姻ってのは契約ですし、家庭という企業を共同運営していくということですから、合理性が最優先になるのは合理的です。
もちろんそうじゃない、感情優先で一緒になる夫婦もいるのでしょうが、それは「互いがちょうどいい相手」な場合かもしれません。
ないことはないがSSRだと思います。少なくとも周囲を見て私はそう思いました。
 
ちなみに私の血族ですが、
母方の祖父はすごいモテてめちゃ不倫しまくり(ただし相手に金は使わない)、
母方の祖母はめちゃ嫉妬深いけど何気に自分も不倫はしてたらしい
母は結婚前は恋人が5人くらいいたらしくディスコ通いだったとか
父は非モテなのですが風俗情報誌がいつも家や車にありましたし、
父方の祖父は数学教師→校長という肩書をもったクソ酒飲みの割とクズで、
父方の祖母はなんだかよくわかりません、話が通じない系の人。
 
私から見て芯がまともな人は血族に一人もいないし、でもみんな社会的にはちゃんとしてます。
そんなもんです、人間っていうのは本当に大体そんなもん。
まっとうさをアピールする人は、まっとうじゃないからそんなことをアピールしなきゃいかんのです
まともじゃないのが普通です。
配偶者以外とセックスをしたいと思うことは普通でまともだと私は考えます。これは性別年齢問いません。
配偶者以外とセックスした人を、その人と話したこともないのに誹謗中傷できるのは普通ではないしイカれてると思います。これは性別年齢問いません。
 
誠実、という言葉の使われ方がすごく偽善的で私は気に入らないのですが、もし本心を相手に開示することが誠実性だとしたら、配偶者に「私はあなたとセックスしたいとは思わない、他の人とセックスしたいとは思う、あなたに恋はしていない、あなたと暮らしていきたいと思っている」と伝えるのが誠実な対応、というやつなんですかね。
仮に私が奥さんにこう言われたら、これをちゃんと伝えられるってすごいな、ありがとう、って感じる気がします。
本心を伝えてくれたら、それを軸にじゃぁどうすればお互いハッピーでいられるかを検討できるんですもん。
どこの誰が作ったのかわからん「不貞」という概念が、夫婦間に抑圧と罪悪感を生ませて互いを無言のままに受け入れないという諍いを助長してることに気づかないまま、日本はコミュニケーション不全大国になっていくんだろうなと思いました。
 
長くなったのでとりあえず今回はここまで。