奥さんと結婚して6年、知り合って9年となりました。

この一年間でものすごくいろいろな出来事があったり、すごく考えることも悩むこともあり、自分が変わるキッカケが多く、すさまじくモメまくりました。

離婚を考えたりもして、その結果、そもそも結婚とはなんなんだ? というところに目が向くようになりました。

 

今のところの結論として、結婚とは、

 

合名会社○○家の設立

 

かなーということになりました、私の中では。

公の意味での結婚って結局ただの契約で、会社設立によっていろいろな縛りを受けると同時に恩恵もあるよ、っていうことだと認識しています。

ただ、この縛りと恩恵ってあんまり釣り合ってない気がするんですよねー

恩恵とは言うものの、私が実感したのは、

 

・役所の手続きを配偶者が代理で行える

・病院の診察室に一緒に入れる

・配偶者控除

 

これくらいなんですよ。

配偶者控除は助かってますが、役所の手続きと診察室一緒に入るってのは、結婚してなきゃだめっていう方がおかしいと思う。

これが信用の問題なんだとしたら、結婚してない相手は信用できなくて、結婚していれば無条件で信用する、というのはちょっと思考停止しすぎでは、と思う。

むしろ結婚している相手が信用できるケースってそんなに多いか?

結婚相手の方が信用できないケースも多い気もするのだけど。

私の場合は奥さんを信用してますが、私自身があまり信用するに適さないタイプなので。

 

日本でも夫婦別姓や同性婚の可否がけっこう話題になっていますが、ぶっちゃけあまりにも遅すぎると思う。

私は「結婚」という制度自体の見直しをする時期なのでは、と思っているので、今更姓や性のことを良いとかダメだとか言ってる時点でダメだと思います。

姓も好きしたらいいし、自他の性によって使える制度が変わることになんの合理性もないので、どっちもOKだせばよくて、それによって不利益がでるというならそのデータを出すべきですよね。

なんせ海外では同性婚OKの国いっぱいあるんですから、そこからデータもらえるでしょうに。

このご時世に同性婚NOとか言っちゃう人はたぶん今後生きてくの大変でしょうね、時流に合わせて自分の価値観を変えられない人は疎まれて嫌われるでしょうから。

 

 

さて、それはそうと結婚という制度は恩恵より縛りの方が重いのではないか、と最近思っています。

その一番の縛りは、不貞行為についてのものだと思います。

「結婚したらセックスするのは一生配偶者とだけね」っていう縛りです。

この縛り、なんか意味あるんですかね。

というか、これ心底納得してる人いるんですかね。いないと思う。

 

私は愛情と性欲はまったく別のところにあるものだと思っています。

愛情にも「親愛・家族愛・恋愛・兄弟愛・友愛」などいろいろあるように、性欲にも「攻めたい・受けたい・甘々なのがいい・淡々としてるのがいい・好奇心を満たしたい・自分を試したい」などいろいろ種類があるように感じています。

そしてその全てを一人で満たすことはおそらく無理です。

が、それを満たすための行為は生涯一人としかしちゃいけません。

ということは、常に何かを我慢して諦めて妥協しているわけです。

しかも「その欲望、我慢自体があってはいけないもの」としてそんな気持ちがないフリして生きてるわけです。

 

それ幸せですかね?

これ、誠実ですかね?

 

不貞行為をしない=不満を抑圧しつつそんな素振りを見せないよう振舞う=嘘をつき続ける=誠実……?

ちょっと考えれば矛盾してておかしいことはわかるんですが、今まで私は疑いもしませんでした。

不貞行為云々よりも、共同経営者をないがしろにする行為全般の方が不誠実では。

 

単純に、パートナーが自分以外の誰かとセックスして、それで幸せそうにいつもご機嫌でニコニコしてたらその方がよくない?

パートナー以外の人とセックスしたいor誰とでもいいからセックスしたいって思ったことない人がいるなら「私以外とセックスするなんて許せない」ってなるのも(気持ちはわからんけど理屈は)わかるけど、そんな人いるんだろうか。アセクシャルとか以外ではいないと思う。

それを我慢するのが愛情とか美徳だというのは洗脳だと思う。

 

まぁとはいえ、過ごす時間や気持ちの比重がパートナー以上に大きくなったら悔しかったり寂しかったりはすると思う。

でもそれって「やってもやらなくても気持ちの比重は変わってない」んですよね。

そこ縛り付けて不満ためられるよりは「他の人としてもいいけど一番の座は譲らないからね!」くらいの方が相手に大事にしてもらえそうな気がするのは少数派なのだろうか。

いずれにしろ「一生一人としかセックスしてはいけません」は「一生一つの食材しか使ってはいけません」みたいなものだと思う。

 

もし奥さんが男女問わず他の人とセックスをしたとして、私がそのときどう感じるかはわかりませんが、咎める気にはならないと思う。

だって奥さんのしたいことと私のしたいことは違うし、奥さんの求めてるものを私が100%提供はできないし。

それを一生諦めたまま生きさせるのが結婚なのだとしたら、結婚はパートナーを不幸にする鎖でしかないもの。

ただ、奥さんの事大事にしない人が相手だったら私は出しゃばりますけどね、序列最上位なのでね。

 

そもそもセックスと愛情表現を密接に結び付け過ぎなんですよ。

セックスでしか愛情を伝えられないなら家族のこと愛してるって嘘じゃないですか。

愛情がなくてもセックスはできるし、セックスじゃなくても愛情は表現できるのに、セックスのことを特別視しすぎだと思う。

そんなものしか愛情をはかるものさしがないなら、逆に優しくする意味とかなくなりますしね。

 

とはいえ実際そうなったときにどう感じるのか、どういう気持ちになるのか、自分がそうしたときに相手がどう感じるのか、そういうのはその状況になってみないとわかりません。

でも自分の気持ちの問題なら、自分でどうにかできるわけですし、パートナーがニコニコして幸せそうでいてくれることの方を私は優先したい。

でも玉座を譲る気はないし、他の誰かを玉座に座らせたいとなったら、そのときは離婚するのが互いにハッピーだと思う。

セックスレスと愛情が無いはイコールじゃないし、セックスしてると愛情があるもイコールじゃない。

それを切り離して別々に扱った方が、傷つくことも傷つけることも少ないと思う。

自分を独占させる代わりにあなたも独占させなさいよ、というのはけっこう無理があると思う。自分にも相手にも。

 

というわけで結婚という制度と、セックスと愛情は別物として扱った方がいいのでは、という話でした。

結婚記念日になんて記事書いてんだ、と思う自分もいますが、結婚記念日に結婚と奥さんのことについて考えているだけ昔よりよっぽど結婚記念日らしいのではないか、とも思いました。

見方次第ってことですね。だったらポジティブに見た方がハッピーなのでハッピーな方を私は選びます。