先月の半ばくらいからTwitterを開くのをやめてみました。

結論から言うと、特に困らないな、という感じです。

すげー快適! ということもないし、すごい不安……とかもないです。

これはそもそも私があんまりTwitterに依存してなかったからかもですね。

 

※イーロンマスクさんについては何も書いていません。私がTwitterから離れたことと彼の就任は何も関係ないです。

 

先月は仕事も忙しかったりプライベートが大変だったりと、とにかく負荷の大きい年末だったので、もう情報を入れたくない、と思い、Twitterを開かなくなりました。

PCはブラウザのブクマをどっかに移動し、iPhoneのアプリもどっかのフォルダに移動しました。

いつでもワンクリックorワンタップで開ける状態じゃない、というのはすごく効果的で、見るのやめよってした日から意識的には一回も開いてないです。

なんかの記事のリンクがTwitterに紐づいてて開くことはありますが。

 

そもそも私はTwitterにはさほどアウトプットしてなかったんです。

書くこと無いというか、140文字で収まるようなことなら書かなくていいや、みたいな感じですね。

自分のツイートにリプライで重ねていけばいいのでしょうが、結局140文字でなんかしら区切りやオチをつけなきゃいけないのが負担なんです。

書くなら長文が好き。

なんとなくTwitterって、人の目を引くような、人の役に立つような、なんかそういう「書くべきような事柄を簡潔におもしろく書かなければいけない」みたいな感じがして、重い。すごく不自由。

このブログはそういう感じが無いんです、書きたいように書きたいこと書いて、それを気に入って読みに来てくれる人がいるなら幸せだし、いなくても書ければ私は満足するので。

 

あとなんかTwitterは漠然と怖い。

悪意に満ちた連中がエサ(攻撃対象)を探して目をギラギラさせながらスマホを見ているようなイメージがある。

悪意が多すぎる上にそれを見ないようにするのが難しい(自分で見たいものを徹底的に選択・選別できない)ので、私には向いてなかったのかなーと。

紛争地帯を武装しないで歩いているような感じ。

別段物騒なことを言う人をフォローしてるわけじゃないんですが、誰にでも噛みつく人がいっぱいいるので……

というか物騒なことを言ってる人はまだいいんですよ、その人の主張だから。

それに対して噛みつくことが目的な人が不毛なケンカを吹っかけて不毛なケンカをしてるのが鬱陶しい。

サシオフでもして殴り合ってなさい。

 

フォローしてる人の情報が見れないのはちょっと残念ですが、その残念さに気が付いたのが年明けなので、別に無くてもいいんだなという実感になりました。

Twitterにはさほど重要な情報がない。少なくとも今の私には見つけられない。

離れてみてわかったのは、Twitter別にいらないってことですね。

そしてリアルでつながってない人の情報は大して重要じゃないし興味ないな、ってことでした。

私はアナログな人間なのかもですねぇ。

まぁそうやって取り残されていって、取り残された人とインターネット老害になって昔はよかったとかクダ巻くのも一興ですわ。

 

世の中の情報の刷新速度が異常に早くて、もうついていけないです。

興味のある分野はかろうじて若干触れられる感じはありますが、大抵のことが興味を持つ前に変わったり廃れたりして気が付くとなくなってる。

忙しい人向け社会になってる気がする。

それについていけない勢は今後生き残れないみたいに不安を煽る発言や記事もあるけど、それについていく価値が本当にあるのか? と私は思いますね。

最先端を生きるのは若者や適合者に任せて、私は踏みならされた道を歩いていけばいいやと思いました。

一周遅れで魅力に気づく人は私だけじゃないだろうし、みんなが捨て置いたものにもしかしたら私の興味を惹く何かがあるかもしれないし、最速で最適解を選ぶ生き方は、やれる人でやりたい人だけがやればいいです。

私はもっとスローに生きたい。