会社のパーティーで子供たちと接する機会があり、そういえば大人と子供の境界線ってどこにあるんだろう? と思いました。

 

「大人ぶる」とか「子供っぽい」とかいう表現があるということは、それぞれを象徴する特徴があるということですよね。

見た目に関しては明白なので省きますが、大人になるっていうのは単に肉体が成長するっていうのとは意味が違うと思うんですよね。

動物はまぁ幼体から成体になればそれが「大人化」なんでしょうが、でも例えば猫って、幼体の頃からあんまりやること変わらないような。

成体になってもおもちゃに対して本気で遊ぶし、甘えてもくるし、嗜好はんまり変わってない気がします。

人間も、根っこの部分では何も変わってない気がするんですよねぇ。

 

なので私が思うに、大人になるというのは「大人と言われている行動・思考のテンプレに沿う」ということかなと。

成長でもなんでもなくて、単に「擬態スキル」を身に付けるだけなのでは。

いわゆる大人というと『冷静で自制的で自立して自律しており、感情や衝動を制御できる人間』というイメージがあるのですが、これを大人の定義としたら、大人なんて一人もいないと思うんですよ。

理性的でない行動、感情を制御できていない状態、衝動的な行動、成人のこういった失態は枚挙に暇がありません。

電車内に「暴力ダメ」なんて貼り出されるのに、大人が理性的だなんて失笑ですよね。

 

子供がと同じでゲームに没頭、熱中する人もいますし、子供がやって楽しい遊びが大人になっても楽しかったりしますし、大人になるというのが、子供でなくなる、という意味ではないと思いました。
自分の周りの大人を見てると、自分の中の子供が大人に擬態できるようになっただけ、と考えた方がしっくりきます。
 
かくいう私は非常に大人っぽくありません。
子供と一緒に全力で遊んだりしますし、子供相手に手加減はしません(大人相手はします)。
大人ぶるのも苦手ですし、TPOをわきまえるというのが嫌いです。毎日嫌々ながらわきまえてます。
好き嫌いもけっこうはっきりありますし、嫌いなヤツは生きてる価値がないと本気で思ってます。
ゲームもマンガも大好きだし、甘い物も大好きです。
なので、なんかもうすぐ40年生きてることになるから大人のフリしとかなきゃって感じですね。
私の中身はただの子供です。
 
 
エヴァ「破」で、ゲンドウが「シンジ、大人になれ」と言ってシンジ君が「僕には大人が何かわかりません」と言ったんですが、ここ完全の大人と子供の位置が逆転してるように見えるんですよね。
ここだけ抜き取ると「ルールに沿わない者を諫める大人(ゲンドウ)」と「感情を優先した結果ルールを無視した子供(シンジ)」なんですが、そもそもゲンドウは他の総てを犠牲にしてでももう一度ユイに会いたいという自己中心的で利己的に他人を利用して裏切るヤツです。
大してシンジは、アスカを殺させられた(と感じた)ことから、許せないという怒りで大人たちを攻撃しました。
私はシンジに感情移入しているので、マジでこの大人たちクズ、ゲンドウはクズの王だから痛い目を見てしかるべき、と思っています。
大局的に見ればゲンドウの方がよほど子供っぽく、他人を道具にするやり方を許せないシンジの方が人道的(大人の思考)なんじゃね? と思ったんですよね。
大人としての器のでかさを示せてもいないのに、まるで自分は立派な大人であるかのように相手に「大人になれ」と諭そうとするゲンドウがひどく滑稽に見えます。
そりゃシンジだって「大人が何かわからない」で当然ですよ。
周りの大人だって中身は子供なんですから。
 
なので何が言いたいかと言うと、子供と大人は分断された存在ではなく、非可逆的な変化(進化)でもなく、ただ可変タイプになるためのギミックを備えただけ、ってことなんじゃないかなってことですね。
だから成人したら子供の要素を捨てなきゃいけないとか、大人の様式に則らなきゃいけないとか、そんなことないと思うんですよ。
なんというか、年齢を基準に相応の「大人らしさ」を求められるのがすごく嫌なんですよね。
私には私の思考や嗜好、行動基準や善悪の価値観があるので、それを「大人」とかいうくくりで欺瞞に満ちた行動をしろって言われても「嫌だ」って感じです。
「大人なんだから」という理由で相手の行動に干渉するのは意味がないと思います。
「大人(を標榜する嘘つき)ばかりのコミュニティでうまいこと自分が不利益を被らないために」という理由なら納得いくんですけどね。
こういうところが子供だって言われる部分なんでしょうが、本音が子供扱いされるなら私は大人になんてならなくていいですわ。