まだ読み途中なんですが、『違国日記』というマンガがおもしろいです。

おもしろいというか……印象的というか、刺さるというか、残ります。

 

作者のヤマシタトモコさんは以前「さんかく窓の外側は夜」というマンガを描いていて、実写ドラマ化だか映画化もされて名前を見たことがある人もいると思います。

私はマンガの「さんかく窓の外側は夜」を読んでいて、これもなんというか、印象的な作品でした。

 

両方のマンガに共通である特徴が、

 

感情や情緒、コミュニケーションに難がある人がメインでありつつも、そのこと自体が主軸にならない

 

じゃないかなーと私は思っています。

物語の主軸はキャラクター同士の関わり、人間関係や人格の変化、成長、とかそういう部分で、そのじわじわ変わっていく感じがリアルですごく好きです。

これまで自分にあった出来事を少しずつ処理しながら何かがわかったり、諦めたり、許せたりするのを見るのが好きです。

 
同性愛の要素や、虐待、機能不全家族、発達障害、コミュニケーションの難、などなど、割と珍しくないけどそれらに包括的に視点をもっていく作品ってないよな、と思ったんです。
特にエッセイ本だと、発達障害は発達障害、アダルトチルドレンはアダルトチルドレンと、それにだけ注目してるので、その要素が特別濃い場合じゃないとイマイチよくわからん、ってことが多かった。
どういう思考の流れなのかとか、そういう人が他者と関わる時にどういう思考をしてどんな気持ちになるのか、その人の当たり前が他の人の当たり前とどう違うのか、そういうのを物語のあちこちにちりばめながら話を進めていく違国日記はとても複雑で、秀逸で、ときどき難解です。
そこが好き。
 
作品の中で印象的だった言葉がいくつかあります。
 
「あなたの空虚を他人に押し付けるな!」
 
「いちいち傷ついていたら身が持たないから意識的に鈍麻して、そしたらそのうち本当に心が鈍くなった。いいことにも悪いことにも心があまり動かない」
 
「『誰のため』みたいなことをきいてくる人の行動理念はひとのためだったりするのか?」
 
「誰のために何をしたって人の心も行動も決して動かせるものではないと思っておくといい。ほとんどの行動は実を結ばない、まして感謝も見返りもない。そうわかっていてなおすることが尊いんだとも思うよ」
 
主人公の一人が小説家なんですが、全部その人のセリフです。
すごくすごく印象的で、私が言語化できなかったことを代わりに言語化してくれたような、すっきりした感じがありました。
難しい言葉を使ってあれこれと考えをめぐらしていく人なんですが、なんとなくわかる気がして、どんなふうにこの物事に対処していくんだろう、というのが毎話楽しみです。
 
いろんなことが普通にできないことを受け入れて、そして他人に押し付けないのは素晴らしい生き方だなと思いました。
私は他人に押し付けてしまうのですが、それって自分はおかしくないとか自分は悪くないって思いたいからなのかなーとか、自分が自分に向けてるメッセージを他人に投影してるだけなのかなーとか思うと、なんだか少し許されたような気がするんですよねぇ。
 
作品内のキャラクターたちが、自己理解を経て自分の感情を知り、受容し、認める(許す)ことで他者に優しくなれたり他者を否定しないで済むようになったりというのが印象的で、私もそうなりたいと常々思っているのですが、きっと自分を許せないから他人も許せないんでしょう。
他人を許せるようにならなければと思いながら、自分を許すことには目が向かないので、結局付け焼刃の寛容さを身に付けては剥がれ、それを繰り返してどんどん「自分はダメだ」となっていく、そんな感じかなと思いました。
 
話が逸れましたがとにかく違国日記、おススメです。
考えることが好きな人や、考えることをやめられない人なんかはすごく楽しめると思います。