できないことなんてない、という言葉は嘘で詭弁で残酷な暴力だと思う。
できなることには最低でも4種類ある。
・元々できること(呼吸とか)
・頑張ればできること(スクワットを10回やるとか)
・頑張らなくても意識すればできること(家の掃除とか)
・頑張ってもできないこと(マルチタスク)
この基準は万人で共通であることはあり得ないのに、ほとんどの人が、自分ができることは周りもできると思っている。
特に基礎能力の高い人は、難なくできることが多い(がんばらなくてもできる)から、がんばるということがよくわからない人もいる。
頑張らずにできてしまう人は、できない人が理解できない。
それはある意味まだマシで、できない人もいるのかーと思えばそこで話は終わる。
ただ、努力してできるようになった人は、できない人に対して、努力すればできるのになぜやらないんだ? できるようになりたくないのか? その程度なのか? と思いがち。
だがここにも落とし穴がある。
その努力をできるということ自体が類い稀な素養と才気なのに、世間も社会も結果しか見ないから、過程の評価が低すぎる。
いや、そもそも過程の評価という概念すらない。
私は長年試行錯誤と、体を壊すレベルの努力を重ねて性別を移行したので、がんばれば誰でもできると思っている部分がある。
でも、おそらくこれは私が類い稀なそこへの渇望と、環境と、友人がいたからできた奇跡的な結果に過ぎないのだ。
そうなると、成功者の本などというのはなんの価値もないとわかる。
ただ、がんばっても意識しても気をつけても何度失敗しても何度挑戦しても何年生きてもできないことがあるということを、自分や他人に認めさせるのは至難の業だ。
そこに至ってしまった以上、戦い抜くか戦線離脱するかをいつか決めなくてはならないのだろう。