ちょっと前から、愛好する対象のことを「推し」と言うようになりましたよね。

2010年前後は確か「萌え」だったかと思います。

 

私も使ってましたが、萌えっていう言葉はなんかこう、オタクくさいですよね(笑)

いや、そこがいいと思うんですよ、私はそういうオタクくさい、ちょっと気色悪い感じが好きです。

アングラ感というか、マイノリティであることの結束みたいなものを感じるというか、ニコニコ動画最盛期の頃を彷彿とさせる繋がり感がある気がしています。

まぁ萌えはちょっとこう、性的に魅力的、みたいなニュアンスがあると私は思っていて、そこに若干の気色悪さがあるのかなーと思いつつも、そういうニュアンスを「萌え」という言葉に内包してマイルドに表現できる文化だった、と思ってます。

綺麗すぎないけど流し見できるような感じが秀逸だな、と。

 

なので「萌え」は「好き」のちょっと強い版、みたいな感じだと認識してます。

very like的な。

萌えも好きも、自分の愛好度合いを表現する、自分と対象の間で完結するものだと思うんですよね、方向性がないというか。

 

そうなると「推し」ってちょっと押しつけがましい気がするんですよね。

「推し」って、「推したい対象」と「推す相手」がいるってことじゃないですか。

言葉の意味そのままだと要するに「オススメ」ってことですよね。

自分はこれが好き! はもうそれで完結ですが、自分はこれが好きなのでオススメ! って、なんか私の思う好きの表現とちょっと違うよなぁと思ったんですよ。

 

「推し」って主に二次元キャラやアイドルとかに使われてるという認識なんですが、みんなぶっちゃけそれ推されても……って感じだと思ってるんですが、どうなんですかね。

好きな食べ物とか好きな曲とかは「推し」って言いませんよね。

これオススメ! って言いますし、オススメする以上はひっかかりそうな相手を選んでオススメします。

でも昨今使われてる「推し」という言葉は、全方位に向けて「私の好きなものを評価してください!」ってしてるような気がして、あんまり好きじゃないです。

特に考えずに使ってましたが、なんかおかしくね? と思い始めました。

普通に「好き」じゃだめなんですかね。

そんな、相手にオススメするレベルじゃないと「好き」を発信しちゃいけないってことなんでしょうか。

自己アピールがあんまり是とされない文化になってきちゃったんですかねぇ。

なんか残念。

 

もはや「推し」という言葉は「好き」の代替語なのかもしれませんが、意味の違う言葉を代替語にする必要があったという現状にちょっと不穏なものを覚えますねぇ。

SNSで情報を発信しやすくなった結果、情報発信にガチガチの「見えない規制」ができているような気がします。

トゲの無い平坦で安全なものばかりじゃつまんないと私は思うんですけどねぇ。