親子関係、親と子の間にある軋轢、距離。

お金、関係性、依存、共依存、過干渉、暴力、ハラスメント、介護。

親と子の間にはすぐ出てくるだけでもこれだけの問題が潜んでいたり表出していたりします。

しかもこれはなかなか向き合うのが難しく、向き合えても戦いは長期化し、和解するか崩壊するかどちらかに決着するまで長い時間がかかります。

決着しないまま親が死ぬことも多いでしょう。

 

私も例にもれず親に対してはかなりいろいろと抱えています。

これまでも書いてきたと思うのですが、特に母親に対しての思いが強いです。

父もあんまり好きじゃないんですが、これは父親としてというより、母が父を最優先にするのが気に入らないという、エディプスコンプレックス的なものなのかもしれないと最近思いました。

 

というのに気づいたのは、なんだかんだ母を遠ざけたり憎んだりしながらも、結局私は母と仲良くしたいのかもしれない、と気づいたからなのです。

 

 

少し話が逸れますが、世界ふれあい街歩きという番組がNHKにあって、実家にいたころよく見ていました。

海外の観光スポットじゃない街並みなんかを一人称視点で見れる番組で、海外が好きな母がこの番組を好きで、私も好きでよく見ていました。

初めてこの番組を見た時のことを今でも覚えていて、イギリスの片田舎の紹介で、特に見どころがあるわけでもないんですが、なぜか印象的だったんです。

たぶん、番組の中身や場所ではなく、母と何かを共有できたことが嬉しかったんじゃないかなと、今では思います。

 

ふとこの番組の事を思い出して、DVDになってないかと調べたところあったので、中古を探していくつか買ってみました。

それが昨日届いて、写真にとって母に送ってみたところ、少し話が弾みまして。

できるだけ母と関わりたくない、会いたくないし話したくない、と避けていたのですが、なんで写真を送ったのか?

思いや言葉よりも真実に近いのは行動、ということの証左なのか、私は結局母が好きで、母の視界に入りたくて、母の気を引きたかったのかなと思いました。

 

父も妹も祖父母も、私はずっと羨ましかったのかもしれません。

家族の中で、一番母と繋がれていないのが私であるという自覚があります。

加えて母は自己を偽る人なので、何が好きで何をすれば喜ぶのか、何を重んじていてどこを見ているのか、30年一緒に暮らしていてもわかりませんでした。

言動と行動がよく矛盾する母に愛されようと振り回されるのに疲れて家を出たものの、気づけば自分が母親のようになっていた。

言うこととやることが矛盾していて、思いがちゃんと言葉にならず、行動理念が一貫しておらず、価値基準がころころ変わる。

好きなものが判然としてなくて、相手の顔色をうかがいながらも我を通そうと相手をコントロールし、思いを直接言葉にせず、行動や言動の端々で気づかないフリをしながら相手を責めたりする

 

たぶんだけど、考えてることも価値基準も母親に準拠してるんだと思う。

私を構成する8割くらいが母のような気がする。

まぁそれはもう仕方ない、そうなってしまったのだから。

ではなぜそうなったのか?

私は母になることで、正確には母のコピーになることで母を取り込もう、母を理解しよう、母を手に入れようとしたのかなぁ、というのが今のところの予想です。

子供のころからなんとなく、母が絶対である、という認識があった気がするし、もしかしたら女性化を進めたのも、母との合一化を果たすためだったのかもしれない。

とはいえ私の本当の願いは母になることではないのです。

私の本当の願いは、母にかわいがってもらうことなのです。

愛されるとかそういう抽象的な言葉では納得も理解もできませんでした、単純に私は母を独占したかったんですね。

独占したいっていうのは、母にとっての一番になりたい、ということだったんだと思います。

 

母が一番気にかけていたのは父でした。

母が一番かわいがっていたのは妹でした。

では私はどうすれば一番になれるのか?

 

一番母に似ている人になること、それを私が目指したのは、そうでもしないと母の一番になれなかったからかもしれません。

まぁ予想ですけどね、今後また変わるかもしれませんし。

 

学歴で父に勝つことはできず、諦めました。

女性性を獲得することで妹に勝つことはできませんでした。

母を気を引くためにできることは、私が危うい存在であることくらいだったのかなと思います。

心配の対象でいれば、母の意識の中にいられると思ったんでしょう。

だからか、いつまでも自立できませんでした。

でも、さんざん自傷行為をしても母は目を背けるばかりで、私の思い通りにはならず、私は母の子供を辞めて妻の夫になることで自分の役割、肩書を刷新したのかもしれません。

妻を利用してると言われても、私は否定できません。

 

いつもなにか焦っていて、余裕が無くて自信が無い、私の日常はそんなんです。

母に愛されたという土台、足場がないので、自分で作った仮組の足場の上で崩れないよう必死なんでしょう。

自分の辿ってきた道が「母のコピーになる」というものだったので、自分自身というものがありません。

向かう先もわからず、何が正しいかを判断する基準は「私の考える母」しかなく、私の表面に何層にもわたって塗り重ねてきた母の殻で私が私自身と繋がることができません。

選択に確信がもてないといつも不安です。

これでいいと思ったものは、他人の意見で容易に崩れます。

そんな状態で誰かを愛するとか、大切にするとか、できるわけないんだよな、と思いました。

崖っぷちを歩いている人に、誰かを助ける余裕なんてあるわけないですし。

おそらく私は一人ぼっちになって、いびつな足場を一回壊して、自分の意思で再構築して、その足場の上に立ってから誰かと関わるべきだったんだと思います

結婚したのは時期尚早だったと思います。

こういう私みたいな人はいっぱいいるのかもしれません。

 

なんとなく、今までは「親なんて何の役にも立たない、金だけ残してくれればいい」と思っていたんですが、これはいじけてただけなのかもしれませんね()

昨日ふと、DVDを見ながら思ったのは「お母さんとこれを見ながら話したい、死んじゃったら寂しい」でした。

親なんかいらない、というのは、いじけた子供の気持ちだったんですねぇ。

 

そう思ったら、子供のころから続いていた過干渉や私への不理解、矛盾と欺瞞への不満がなんだか、あーもういっか、って感じになってきました。

こまけぇこたぁいいんだよ、私はお母さんと一緒にお母さんが好きなものを共有したかったんだ、ただそれだけだったんだ、というね、心持になりました。

一時的かもしれませんが、こんなにもまだ私が母を求めていたことを痛感し、事実として受け入れられたのが少し不思議です。

 

母に似ていることをダメだとずっと思っていたんですが、でもこうなることは私が選んできた生き方なんですよね、動機がなんであれ。

その結果奥さんがいて、友達がいて、文章が書けて、性別を越境できて、仕事ができてるのであれば、上出来ではないかと。

私の中から母を排除することはたぶんできないのでしょう、ならばもう、母のコピーとして生きてきた私を土台にして、違う自分を構築していく方がいいかな、と。

これまでの自分をぶっ壊せないんじゃないんです、ぶっ壊したくないんですよ、私の中から母を排除したくない。

今でも私は、母に抱っこされたい子供のままなのかもしれません。