親子関係、親と子の間にある軋轢、距離。
お金、関係性、依存、共依存、過干渉、暴力、ハラスメント、
親と子の間にはすぐ出てくるだけでもこれだけの問題が潜んでいた
しかもこれはなかなか向き合うのが難しく、
決着しないまま親が死ぬことも多いでしょう。
私も例にもれず親に対してはかなりいろいろと抱えています。
これまでも書いてきたと思うのですが、
父もあんまり好きじゃないんですが、
というのに気づいたのは、
少し話が逸れますが、世界ふれあい街歩きという番組がNHKにあ
海外の観光スポットじゃない街並みなんかを一人称視点で見れる番
初めてこの番組を見た時のことを今でも覚えていて、
たぶん、番組の中身や場所ではなく、
ふとこの番組の事を思い出して、DVDになってないかと調べたと
それが昨日届いて、写真にとって母に送ってみたところ、
できるだけ母と関わりたくない、会いたくないし話したくない、
思いや言葉よりも真実に近いのは行動、ということの証左なのか、
父も妹も祖父母も、私はずっと羨ましかったのかもしれません。
家族の中で、
加えて母は自己を偽る人なので、何が好きで何をすれば喜ぶのか、
言動と行動がよく矛盾する母に愛されようと振り回されるのに疲れ
言うこととやることが矛盾していて、
好きなものが判然としてなくて、
たぶんだけど、
私を構成する8割くらいが母のような気がする。
まぁそれはもう仕方ない、そうなってしまったのだから。
ではなぜそうなったのか?
私は母になることで、
子供のころからなんとなく、母が絶対である、
とはいえ私の本当の願いは母になることではないのです。
私の本当の願いは、母にかわいがってもらうことなのです。
愛されるとかそういう抽象的な言葉では納得も理解もできませんで
独占したいっていうのは、母にとっての一番になりたい、
母が一番気にかけていたのは父でした。
母が一番かわいがっていたのは妹でした。
では私はどうすれば一番になれるのか?
一番母に似ている人になること、それを私が目指したのは、
まぁ予想ですけどね、今後また変わるかもしれませんし。
学歴で父に勝つことはできず、諦めました。
女性性を獲得することで妹に勝つことはできませんでした。
母を気を引くためにできることは、
心配の対象でいれば、
だからか、いつまでも自立できませんでした。
でも、さんざん自傷行為をしても母は目を背けるばかりで、
妻を利用してると言われても、私は否定できません。
いつもなにか焦っていて、余裕が無くて自信が無い、
母に愛されたという土台、足場がないので、
自分の辿ってきた道が「母のコピーになる」
向かう先もわからず、何が正しいかを判断する基準は「
選択に確信がもてないといつも不安です。
これでいいと思ったものは、他人の意見で容易に崩れます。
そんな状態で誰かを愛するとか、大切にするとか、
崖っぷちを歩いている人に、
おそらく私は一人ぼっちになって、いびつな足場を一回壊して、
結婚したのは時期尚早だったと思います。
こういう私みたいな人はいっぱいいるのかもしれません。
なんとなく、今までは「親なんて何の役にも立たない、
昨日ふと、DVDを見ながら思ったのは「
親なんかいらない、というのは、
そう思ったら、子供のころから続いていた過干渉や私への不理解、
こまけぇこたぁいいんだよ、
一時的かもしれませんが、
母に似ていることをダメだとずっと思っていたんですが、
その結果奥さんがいて、友達がいて、文章が書けて、
私の中から母を排除することはたぶんできないのでしょう、
これまでの自分をぶっ壊せないんじゃないんです、
今でも私は、母に抱っこされたい子供のままなのかもしれません。