ちょっと前の話になりますが、メンタリストdaigoが「ホームレスの命に価値はない」といった旨の発言をして炎上しましたね。

あの一件、私はちょっと思うところがあって、炎上させてる人達の方がおかしいんじゃないかと考えています。

 

というのもですね、私は「命に貴賤はある」と考えているからです。

 

平等は嘘

みんな違ってみんな良いハズはない

世界に一つだけの花だからといって価値があるとは限らない

 

命に貴賤はないと主張する言葉は正直うさんくさいと感じています

綺麗事、美辞麗句、見た目だけ綺麗に取り繕って中にどんな悪意や蔑視が詰まっているかわからない危険な言葉です。

誰もが生きてる価値がある、なんてことはありえません。

価値を決めるのは個人ですが、社会に属する以上は社会における価値も伴う必要があると私は考えています。

社会における価値とは何か、私が考えているものがいくつかあります。

 

プラス要因

・生産力を提供している(働いている)

・生産力を提供している人をサポートしている(働いている人に代わって家事や手続きなど家庭内の必要なことを処理している)

・生産している(クリエイティブな活動などで対価を得ている)

・生産力提供者や生産者に出資している

 

プラマイ0要因

・生産力を提供している人、及び生産している人の邪魔をしない

 

マイナス要因

・生産力を提供している人、及び生産している人の邪魔をする

 

以上の事を簡単に言えば、誰かの役に立って無い者に価値はない、ということです。

これはですね、だからそういう人に価値が無いと言いたいわけじゃないんですよ。

少なくとも私は親、学校、会社、社会からそう教わってきましたので、「役に立たなければ生きられない」と思い必死に自分に価値をつけようともがいてきました。

騙したり騙されたり、嘘をついたり攻撃したり、攻撃されたり傷つけられたり、そういう中でどうにか自分の価値を捻出してるわけです。

そういうことを辞めた、そういうことから逃げた人達に価値なんか無いでしょ? とdaigoは言っていると私は感じました。

私がそう感じたのは、私がそう考えているからです。

役に立つことから逃げた人を生かす理由は社会にはないんですよ、だっていらないんですもん。

そういう、社会にとって、他人にとっていらない存在になったのは他ならぬあなた自身の選択でしょう? と私は思っています。

自分のお金で自分を生かせてる人は他人に価値を認めてもらう必要もないですが、他人の金で生きている人は他人に価値を提供する必要があると考えています。

この国が最近よく言う、自助とか自己責任ってそういうことですよね。

それが正しいかどうかは私にはわかりませんが、助けてほしいなら助けたいと思われるように存在になってからにしろ、というのは何もおかしなことではないと思う。

 

 

daigoはホームレスを救う金があるなら猫を救う方に金を使ってくれよと言ってましたが、これは私も同意です。

猫は、猫好きな人にとっては生きてるだけで価値があります。

そこにいることで価値提供できてるんですから、飼い主が生きる環境を提供するのは利害の一致です。

猫好きじゃない人が猫にお金を使わないのも、道理です。好きじゃないなら価値はないですから。

だったら、ホームレスが好きな人がホームレスに生きる環境を提供すればいいのでは? と私は思うわけですよ。

ホームレスがそこにいること自体に価値を見れる人が資金提供すればよくて、税金=国民の大意でやる必要はない、というのは道理だと思うんですよね。

 

だからそれをやれ、っていうことじゃないですよ。

そう思っている、ということを表明するのは自由だよね、っていう話です。

 

 

そっち側(ホームレス側)の立場になる可能性だってあるのによくそんなことが言えるな、と言う人は、いままでそっち側(助けてもらえない側)になったことのない加害者側の人なんじゃないの? と私は思っています。

 

私は子供の頃学校でいじめにあってましたが、誰かが助けてくれるわけでもなく、そもそも発達障害っぽい小学生がうまく状況を説明できるわけもなく、親も教師も頼れず、というか頼りにならず、孤立無援という状況を経験しました。

周りには、敵か、敵ではないただのオブジェクトかしかおらず、そういった状況で自分を守るためにひたすら防御に徹しました。

中学の頃にはなんとなく、強者の側にいかなければ虐げられるのだ、ということがわかったので、学力と毒舌を身につけて攻撃する側に行こうとしました。

無害でいると攻撃されるなら、有害な存在になれば相手も簡単には手を出せまい、毒を帯びれば私と関わることで毒に触れるのだと相手を牽制できる、そう考えたのでしょう。

 

こういう、誰もアテにできない虐げられる状況を経験している人は、世の中は平等ではなく、悪こそ有利で善こそ不利、加害しなければ虐げられる、という社会の真実を身をもって知っているんだと思います。

ちょっと極端ですが、そっち側(ホームレス側)に近いところにいて、そこから這い上がってきたからこそ、そんなことが言えるんですよ。

蹴落とされて、蹴落とされたくないから這い上がってきたわけなので、蹴落とされないためには蹴落とすしかない、という価値観があるのだと思います。

そしてその価値観を植え付けたのは、最初に蹴落としたヤツらです。

それが家族か、クラスメイトか、教師か、知らない人か、いろいろあるでしょうが、淘汰された経験のある人が選民意識を持つのは、自分が淘汰されないための防衛機構だと思うんですよね。

 

daigoって昔いじめられてて、ある時いじめてたヤツに鉈を投げつけたらいじめがなくなった、と何かの動画で言っていたんですよ。

ここで彼は、加害するぞという恣意行為は自己防衛につながる、と学んだのだと思います。

そうだとしたら私はすごくその気持ちがわかる。

こいつは怖い、こいつはめんどくさい、こいつは厄介だ……そう思わせることが牽制であり、身を守る術なんですよ。

自分を守ってくれる人がいたら、きっとそんな術は必要ないから単純な善人になれるんでしょうけど、そんな人この汚泥みたいな社会に0.001%もいないと思います。

この世は悪人同士が互いに牽制し合って成り立っています。

国同士が武力をチラつかせる行為が、個人単位に縮小されただけです。

 

 

というかそもそも、daigo自身は別にホームレスを襲撃したりしたわけでもなく、ただ自分の主義主張を表明しただけなのになんであんなに叩かれなきゃいけないんですかね。

当事者であるホームレスが「そりゃあんまりだよあんた」って言うならわかりますよ。

でもホームレスでもない無関係な人間が「こいつの言ってることは非人道的だ!」って騒ぐのって、非人道的だと思うんですよね。

悪意を正義ヅラで誤魔化してる分余計にタチが悪い。

彼よりよっぽど悪いことしてる人がごまんといるんだから、正義を騙りたいならそっちの方攻撃しなさいよ、と思ってしまいます。

有名だからって理由で攻撃していいことになるなら、役に立たないからという理由でホームレスを攻撃してもいいってことになりますし。

単純に「daigoこんなこと言ってた、自分はそう思わないから悲しい……」って言うならそれもその人の意思表明だから自由です。

正しさを持ち出して他人の発言に火をつけて自分は良い事したと思ってるのがヤバイってことです。

 

正義ってのは結局のところ強者の側の理屈で、今の世界での強者ってのは金持ちで、金=力なわけですから、金もってるdaigoがそんな風に考えてそれを表明するのは無理からぬことかなぁと思っています。

この国を金=力という世界にしたのは我々日本人、とくに強者だった者達で、daigoを強者=金持ちにしたのは、視聴者なんですよね。

だから彼がそういった価値観を築くに至った要因と思われる強者の側に連れていった視聴者には、文句言う筋合いないと思います。

自分たちで押し上げたんですから。

こいつはもうダメだと思って離れるのは自由だと思いますが、火をつけるのは理の無い加害でしかないと私は思いますね。