辛抱は〇棒 ~与えられた場所で咲く~
今日から5月
私の自宅での生活も丸2ヵ月をクリアー
よく顔晴ってきました
先日、講師仲間の先輩と電話ではなしをしていると
「死語の復活」といわれ
何 ???
どんな死語ですか? と訊くと
「辛抱だよ」って
そういえばこの頃
我慢はいっても、辛抱は自分でもいわなくなったし
聞かなくなったなぁ~・・・と
でもこの新型コロナでチラホラと
辛抱を聞きはじめるよになったと先輩
そういえば私も自分に言い聞かせているかも・・・
私の中では我慢は「今」「少しの間」
辛抱は中長期間というイメージがあり
そう考えても当分は辛抱の時・・・
という思いが自分の中にもあったんです
緊急事態宣言も延長されそうです
仕方ないです・・・
そうしたら先輩が
「辛抱は自分の心棒をつくるのに大切なんだよ
今は自分の心棒が試されているんだよ」って
なるほどなぁ~
この2か月間どこかで
なんだか修行しているみたいだ・・・って思いながら
生活を充実させるためにまずしたことが
捨てること、身軽になること
そしてその中の生活と時間を工夫し、少しでも多くの
喜びと笑顔を作りだすことに取り組んでいます
毎日のように仕事をさせていただいたときとは
また違う感覚での
「与えられた場所で咲く」意識を持てています
それはある意味、これからの準備でもあると思うから
何のための準備・・・
新型コロナが終息しても
おそらくまた「まさか」は起きると思うから
その時にも「大丈夫」って
自分を信じ生きられるための準備でもあります
そうは言っても明日生きている100%の保障なんて
誰にもないですけど
この新型コロナを乗り越えたあと
自分の心棒がまた太くというより
今まで以上に軽くしなやかになっていることを
期待します
心PULLな生き方・信PULLな生き方
深PULLで真PULLな生き方に
つながるのかもしれません
とはいっても先が見えるから
期限があるから辛抱もできるのですけどね・・・
道端の花が与えられた場所で
優しく、たくましく、しなやかに
微笑んでくれました
え
今日も命を喜ばせます
感謝を込めて