全校朝会の話「矢口魂心丸やぐちこんしんまるの話」 | 一歩一歩 前に前に(小学生バレーボールチーム 矢口タートルズVC)

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今日から2月です。明後日2月3日は節分で、鬼退治のための豆まきの日ですね。
ですから今日は、このお面、煉獄さんのお面を着けて話をしますね。
煉獄の炎で、病気の鬼を焼き尽くしましょう。
それからもう一人、ゲストに来てもらっています。キョエちゃんです。

さあ、今日も矢口小歴史話・第4段です。
皆さん、矢口小の正面玄関に「舟」が置いてありますね。
写真で見せるとこれです。
なんで?・・・・・なんで舟が置いてあるの?・・・なんで?
では問題です。

A 矢口小にはむかし、海ぞくがいて、舟をきふしてくれた。
B 矢口小で、むかしの先生たちが、玄関のかざりのためにつくった
C 矢口小で、むかしの子どもたちが、勉強のためにつくった。

考え中、考え中、お・わ・り
答えはCです。子どもたちが勉強のためにつくりました。
そしてなんとこの舟に乗って、あの多摩川を渡ったんです。
それが読売新聞の記事になって残っています。

2005年3月7日(月曜日)読売新聞都民版の記事
「歴史の流れ渡る 僕らの舟   児童ら矢口渡復活」
多摩川を渡り、大田区と対岸の川崎市を結ぶ渡し舟「矢口渡」が6日、大田区立矢口小(多摩川1)の児童らの手によって復活した。
矢口渡は地元の足として使われていたが、第二京浜国道や多摩川大橋の開通で1949年に廃止された。
児童らは「矢口渡復活プロジェクト」と題して小舟を造り、見事に多摩川を渡ってみせた。

大田区矢口には、南北朝時代の武将、新田義興(1331~58)が鎌倉に攻め込む際、渡し舟で多摩川を渡る途中に謀略にはまり自刀したという記録が残されており、この当時から渡し舟が通っていたと考えられている。
戦前までは、大田区の農家が渡し舟に乗り、川崎市側にあった畑に農作業へ出かける光景も見られたという。
矢口小では、6年生の総合学習の授業の一環で、こうした地域の歴史を学ぶため、渡し舟を復活させることになった。
地元のお年寄りに渡し船の様子を聞くなど昨年9月から準備を始め、長さ5メートルの小舟造りに挑戦することになった。

舟造りには、区内のカヌー愛好会「大森青ベカカヌークラブ」が全面的に協力。
週2回の授業時間や放課後を使って作業を進めた。
「魂心丸」と命名された舟は昨年11月に完成し、学校のプールで進水式を行った。
2月には、実際に多摩川を進めるかどうかテストした。

この日の渡し舟復活は、多摩川大橋のたもとで行われた。
カヌークラブのメンバーや消防署員らが見守る中、児童ら80人が15チームに分かれ、それぞれ大田区側と川崎側に待機。
午前9時にスタートし、川幅約120メートルの多摩川を往復した。
途中、船が下流に流されてしまいそうになる場面もあったが、児童らは力強くこぎ続け、無事に両岸を行き来した。
児童のひとりは「友達やカヌークラブなど、みんなの支えがあったからできた」と話していた。

今日の話もホームページに載せておきますから、皆さんも、だれかに「この舟はどうして置いてあるんですか?」と聞かれたら、答えられるように勉強しておきしょう。

それからもう一つ、130周年キャラクター総選挙で1位になった「やぐらん」のイラストを、図工のH先生がパソコンできれいに描き直してくれました。
いろいろなことに使えるようにしてありますので、こちらもホームページに載せておきます。
みんなで使っていきましょう。