半分教師 第48話 「今は亡き教え子の遺した額縁」 | 一歩一歩 前に前に(小学生バレーボールチーム 矢口タートルズVC)

一歩一歩 前に前に(小学生バレーボールチーム 矢口タートルズVC)

このブログは小学生バレーボールチーム「矢口タートルズVC」の情報と、小学校教育に関する情報を発信しています。


新学期を控え、これまでの2年連続6年担任として使わせていただいた教室からお引越しのため、休日返上で荷物運びをしました。ということは、3年連続6年ではないわけですよ(笑)。そして、何年生の担任になるのかは、明後日に正式発表します。

今回も「井上再生工場」であることに変わりはありません。ただし卒業した6年生の時とは異なり、自分に課しているものは普通では信じられない感覚です。

「最初の3分間ですべてを解決する」

3分間といえばウルトラマンですね(笑)。そうです。ウルトラマンをイメージしているわけです。3分間で変えられなければ自分の命が危なくなる。だから必ず3分以内に学級を再生させます。というか、私が担任に決まった時点で問題はすべて解決していると言わせていただきます。(うわぁ~、大言壮語も甚だしい!ビッグマウスと言われそうだ!でも、そこまで言い切る自信があるわけで・・・・・)



さて、私には教室のお引越しをするたびに確認をしていることがあります。それは写真の額縁のことです。この額縁は、私が教師生活2~4年目、養護学校時代に一緒に学校生活を送っていたK君のご両親から、彼の卒業記念にいただいたものです。

K君は先天性進行性筋ジストロフィーという病気でした。この病気は、年々筋肉が衰え、最後は肺を動かす筋肉までやられて命を失うという悲しい病気です。私がK君を担任した高等部1年生の頃には、すでに全身の筋肉に病気が進行し、食べることと話すことしかできない状態でした。そして高等部3年生になろうという時、彼は肺不全を起こして緊急入院します。私が養護学校に赴任して3年目。実はたった3年の間に、同じ症状で命を落とした子がいたほどで、極めて危険な状態でした。

運ばれたのは都立広尾病院。家族しか入ることのできないICU。私は「兄です。」と偽り、ICUに入れてもらいました。白衣を着て、帽子をかぶり、入室しました。K君は人工呼吸器をつけ、不安そうな表情を私に向けました。その目を見て、私はご家族の皆さんと共に腹を決めました。

「必ず退院させてみせる。自分が担任として“更賜寿命(さらに命を賜る)”の実践をする!」

「自分が毎日病院に通う!自分の命の躍動がK君の命に必ず伝わるはずだ。一歩も引かないで、必ず高等部卒業を勝ち取る!」

「ご家族の不安もすべて受け止める! 脱命の魔から必ず守る!」

そして半年間の病院通いが始まりました。お母さん、お父さん、お姉さんもまた、毎日病院通い。私はこのご家族と「同苦する」戦いをさせていただきました。

真剣でした。K君の命がかかっていたのですから。



嬉しいことにK君は命を取りとめました。気管切開をして、ノドから人工呼吸器を使った酸素吸入をしないとならなくなり、ご家族の負担は大変なものがありましたが、生まれてから18年間、必死に育ててきた我が子を亡くすことに比べれば、介護は大変でも生き続けてくれる方が何ものにも代えがたい喜びなのだと感じさせていただきました。



K君は、卒業式で、私たち高等部3年生担任が全員で生演奏するサザンオールスターズの楽曲「希望の轍」をバックミュージックに笑顔で巣立ちました。

その後8年も命を伸ばし、26歳で亡くなりました。亡くなった時のお顔も笑顔でした。



写真の額縁の中にある帆船は、私が彼を担任した3年間、毎週出していた学級通信「帆船・光丸の船出」をイメージして、K君のご家族が卒業記念に私に下さったものです。この額縁を見るたびに、今、目の前に担任している子どもたちに対して、こんなことを思うのです。

「勉強ができないなんて小さなことだ。言うことを聞かないことだって元気な証拠だ。生きていればいいじゃないか。元気であればそれだけでもいいじゃないか。明日死ぬかもしれない状態で学校に通っていたK君を思えば、何だって許せる。生きて生きて生き抜いていく心を持ってくれれば、それでいいじゃないか。」




彼は私に教師としての「原点」をプレゼントし、その使命を私に託し、一足先に逝ったのでした。