![]() | 斎藤喜博 授業 (人と教育双書) 斎藤 喜博 国土社 このアイテムの詳細を見る |
いきなりですが、この本の冒頭に書かれている文章を引用します。
「教師でも子どもでも、実践することによってだけ自分を変えていくことができる。授業は、そういう意味での実践の場である。」
この感覚を教師が持っていることが重要な分かれ目であると私は感じています。何の分かれ目かというと、「プロ教師」への道に進むか、「ただの教員」の道へ進むかの分かれ目です。授業をすることによって、子どもたちだけでなく、指導している教師が自己変革をしていくことが必要です。
「自己変革」・・・・・これが学習指導要領で求められている「生きる力」なのではないでしょうか。江東区教育委員会の指導室長先生は、このことを「自己実現」という言葉で表現していました。どちらの言葉にも言えることは「自らの力でより良く変わる、より良く成長する」ということであります。
斎藤喜博先生はこのようにも書いています。
「教育においては、どれが正しいかということではなく、つぎつぎと高い解釈、新しい解釈を発見し創造し、新しい別の地点に到着していくことに意味がある。」
今、こうした授業ができる教師を次々と誕生させていく必要があります。自分のしていることに対して、常に「本当にそれで正しいのか?」「もっとよい方法はないのか?」「自分を鍛えるためにはどうしたら良いのか?」と投げかけていくことができる教師が必要です。
教育界を取り巻く課題がどんどん増えていく時代で、教師は今にもパンクしそうになっているとよく言われますが、漫然と学校に遅くまで残っていても何の力もつかないと私は自分に言い聞かせています。常に新しい授業を求めてやってきたという自負もあります。
マインドマップに関する取り組みもまだまだ不十分だと思っていますし、さらにマインドマップよりも優れた方法があるならば、それを開発したいという希望も持っています。
「創造発見と変革のある授業は、次々と高い新しい解釈が出、それぞれの個人の智慧が出てくる。」
「子どもたちは『授業はなんとおもしろいのだろう』『先生や友だちと勉強するということは、なんとすばらしいことだろう』と満足充足し、先生や友だちを実感として大事だと思うようになる。そういうなかで、謙虚な、そして追求力と創造力と連帯感のある子どもになっていく。」
日本各地で学級崩壊が話題になっていますが、それは授業が楽しくないからだと私は思います。この斎藤先生の言葉がそれを示しています。子どもたちが「授業はなんとおもしろいのだろう」と感じている学級が崩れるわけないではないですか。先生や友だちの話から「自己変革していける」ことを味わっている子どもたちが荒れるわけないじゃないですか。
斎藤喜博先生の著作「授業」をほんのわずかだけ紹介させていただきましたが、これだけでも今の時代に必要な教育哲学が満載であることを感じていただけるのではないかと思います。
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