かなり生意気なことを書いてしまっていますが、読んでみて心に落ちた方が参考にしてくだされば。そんな思いを込めて書きました。
教師という仕事をしていると、けっこう忙しいですし、明日の授業を楽しくするためにどうしたらいいだろうかと「マニュアル的な本」に手を出すことが多くなるでしょう。確かにできるだけたくさんの「教育方法の引き出し」を持っていることももちろん大事です。
しかし、ここに勘違いが生じることがあります。
教育方法=授業方法にばかり視点が行ってしまうと、本質を見失う危険があります。
この「教師」という仕事の本質は何かと考えると、「授業を上手にする」ということでは決してないと思うわけです。(もちろん授業が上手に越したことはありません。)
教師の仕事で最も大事なことは・・・・・「子どもを育てる」ということです。
どれだけ授業が上手だとしても、子どもたちが育たなければ何の意味もありません。まあ、授業が上手だからこそ子どもたちは育つわけですけれども。
私が過去に出会った先輩教師の中には、このような残念な発言をしてしまった方もいます。その方は研究授業をすることになっていて、教材研究は一生懸命やっていたんです。本番に向かう前に、隣のクラスで事前授業をした時のことです。子どもがあまり乗ってこなかったんですね。集中できずに他のことをしていた子が何人もいたそうです。そういう状況の中で、その先輩教師は子どもたちに向けて、言ってはならない言葉を口走ってしまいました。
「研究授業に向けて、私がこんなに一生懸命準備しているのに、あなたたちはどうして集中できないの!」
研究授業で追い込まれていたことは理解できますが、それは大人の都合です。子どもたちには関係ありません。
こうした言葉が出てしまう心根には何があるのかというと、子どもを自分の思い通りにして、「私は優秀な教師だ」ということを見せたい。だから、自分の心の範疇(器)におさまらない子に対して、「あの子はダメだ」とか「育て方が悪い」とか責任転嫁して、自分の授業力不足をカモフラージュしようとしてしまうのだと思います。
話を元にもどします。
教師は教育方法・教育技術を深めることは当然必要だと私も思っています。しかしその前に、確固たる「教育哲学」を持つ必要があると強く感じています。そして教育哲学とは、困難な状況になればなるほど輝きを放つものだと感じています。
この「教育哲学」は二十代のうちにある程度は確立すべきです。ベテランになってから身につくと思ったら大間違いです。
そのために少しだけですが本の紹介を載せました。
難しい本なので、読んでも理解できないかもしれません。それでもいいのです。とにかく読んでおくことが20年後に花開きます。脳科学的に考えても、いったん脳に入れた情報は何らかのきっかけで将来につながるものです。
私自身、今の行動を支えているのは、大学時代の4年間に学んだ「教育哲学」です。その一端を書きますと、
「最大の教育環境は教師自身である。」
「教育の目的は、目の前の一人の子の幸せである。」
「教育は人類最大の事業である。」
「子どもは未来からの使者であるから、最大の敬意を払って接すべし。」
「悪い子なんて一人もいない。子どもは白いキャンバスだ。そこに美しい絵を描いていくのが教師という仕事だ。」
「人間には一瞬に三千通りの可能性がある。どれだけ困難な状況であっても、次の一瞬には180度転換しているということも普通にある。」
「二十一世紀は教育の世紀である。」
書き始めると次から次から出てきますね。全部18~22歳の間に自分の心に刻み込んだ言葉です。
若手教師の皆さん、どうか苦しい思索の作業から逃げないで、深い教育哲学を持てるようにしてくださいね。私も皆さんに負けないように、もっともっと勉強していきますからね!
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