先週、TBSの番組でドリフターズの特集が放送された。
生放送の緊迫感というかライブ感というか、今の編集されたテレビ番組には感じられない楽しさがある。私の過去の記憶が一気に蘇る。私の子ども時代はまさにドリフターズの「8時だよ!全員集合!」の影響を強く受けている。
教室では友達みんながカトチャンやシムラのギャグをマネしていた。
「東村山音頭」を踊るのがものすごくうまくて、みんなを大笑いの渦に巻き込んでいた「オッキャン」という私の友達は、今では千葉県の博物館で研究員として活躍している。
あの頃のクラスのお楽しみ会といえば、だれかが必ず「ヒゲダンス」や「ちょっとだけよ~」というギャグを披露したものだ。
日本の時代は戦後の復興を完全に果たし、「もはや戦後ではない」などという言葉も飛び出していた。また、急激な産業化社会の影で、公害問題や受験の激化などが大きな問題となっていた。私の少年時代の日記にも、「大学受験を支えるために苦労している両親を楽にしたいために、歯科大合格当日に自殺した高校生」のことを書いた新聞記事がスクラップされており、「お金は人の命までうばってしまう凶器の一種だということがつくづく分かった」という私の感想が書かれている。
急激な進歩はどこかに歪みを生み出していた感が否めない。
そんな雰囲気の中で、ドリフのお笑いは私たち子どもの心に完全にヒットしていた。
時代は30年以上も過ぎ、なんと今、私の教室では子ども達がドリフのお笑いのマネをし始めている。先週の「全員集合」の番組を録画して家族で視たらしいのだ。
「あのチンパンジーの社長さんが面白かったよね!」
「早口言葉、やってみようよ!」
などとおしゃべりしながら、ドリフの話題で大笑いしている。
それを見ていると、なんだか不思議な気持ちがしてくる。
時代が変わっても、共通する「笑い」ってあるんだなぁと思う。
ところで先週、お隣のクラス担任であるモジャ先生に、「お笑いのある学級は絶対に崩壊しない」「お笑いの人たちは、笑わせることで人に幸せな気持ちを作ろうとして努力しているから学ぶ点が多い」という持論を紹介した。
モジャ先生が書いた記事はこちら→「アンテナをはるということ」
今日も明日も明後日も、授業にお笑いを取り入れていこうとねらっている私である。