子どもはなぜ、登場人物の「気持ち」が書けないか? | 「お受験」問題ー子どもの「気持ち」-

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 受験のさまざまな問題について、皆さんと交流できればと思います。ご父兄・生徒さんにはあまり知られていない問題を取り上げたいと思います。
 なお、「傾向と対策」「学校情報」(進学率など)は基本テーマになりませんので悪しからず。

 「記述問題」を苦手にする生徒さんが多いということはお話ししたと思います。

 小学生の場合、特に顕著。

 好きな小学生が多い「物語文」でも同様です。

 一体、なぜなのでしょうか?


 まずは次の例答を見てください(下線は引用者)。

 「千恵のことを気づかってくれた祖父の愛情深く感謝するとともに、夏休みの間に築いた祖父との心の繋がりを、たとえ離れて暮らしても、ずっと大切にしていこうと決意している。」

 これは「物語文」のラストシーンでの主人公の気持ちを問う問題への例答です*1)。


 主人公はこの場面で祖父の手を「強く、強く、握りしめた」となっています。

 さて、皆さんは「祖父の愛情」「深く感謝する」「心の繋がり」「決意している」といった言葉が並ぶ
この例答から、どんな文章を想像されるでしょうか?

 人によってさまざまと思いますが、場合によっては一昔二昔前の「熱血ドラマ」のような文章を思い浮かべる人もいるかもしれません。

 例えば、子どもに辛く当たる(今で言う「虐待」)両親から祖父が孫を救い出し、襲い掛かる困難に負けずに育て上げ、ついに孫が独り立ちする、といったストーリーです。

 しかし、この物語、「熱血ドラマ」とはかなり趣が異なります。

 主人公・千恵は高級マンションに住む小学5年生。

 「教育熱心」な母親と住宅ローン返済に追われる父親とがぎくしゃくし、心を痛めていたところ、父から祖父の家へ行くように言われます。

 下町・深川に住む祖父は、若い頃は「雑で自分勝手で学がなくて」という人物。

 

 その古臭い家に送り込まれた千恵は最初は反発しますが、2週間、滞在する間にすっかり馴染み、迎えに来た父親にも「自宅には帰りたくない」とはっきり告げます。

 ひと騒動あって結局、帰ることになり、祖父の手を握りしめたのが冒頭のラストシーンです。

 両親のトラブルは千恵の負担になっていますが、どこの家庭にもあることで、目に見える「虐待」を行っているわけではありません。

 祖父もドラマの「熱血漢」という感じではありません。

 文中、ちょっとした機転で千恵と父とのトラブルの発展を防ぎますが、明確に「体を張って」孫を守る人物と描かれているとは言えそうにありません。


 尤も、内容が「熱血ドラマ」でないからといって上記の例答を誤りと言うことはできません。


 むしろ、後述のように「合格を勝ち取る」という観点からはよく出来た例答と言えます。


 では、なぜ、小学生はこのような答案をなかなか書けないのでしょうか?

 根本的な理由は本当に主人公の気持ちを捉えた解答とは必ずしも言えないことでしょう。

 そもそも、この物語は子どもが、高級マンションに住み「よい教育」を受けるという「あるべき家族像」から「解放」される物語とも言えます。

 それは「あるべき子ども像」から子どもが「解放」されるということでもあります。

 その子どもが「解放」された自分の気持ちを「祖父の愛情に深く感謝」といった学校で教わるような「紋切り型」
の言葉で表すでしょうか?

 仮に、主人公がこの言葉を使ったとしても、それは本当にその子どもの気持ちを表現していると言えるでしょうか?

 この文章では主人公・千恵は祖父のことをけっして「おじいちゃん」などとは呼ばず、「エンジ」(祖父の名前)と呼び捨てにしているのです。

 そもそも「熱血ドラマ」の主人公の気持ちの表現と同じような例答が、この物語の主人公の気持ちを表現しているとは言えないでしょう。

 もちろん、小学生が上記の例答にこのような批判を加えることはできませんが、物語文から受ける印象と「紋切り型」の例答とのギャップは多くの小学生が感じていると思われます。

 小学生が「物語文」の記述が書けない根本的な原因の一つは、そのギャップに戸惑ってしまうことではないかと思います。

 「主人公の気持ちを書け」と言われて、主人公の気持ちと離れた答案を書くわけですから、戸惑うのは当然でしょう。

 慣れるまでに時間がかかりますし、慣れるための時間が十分に与えられないと苦手意識がつき、「書けない」ということになりがちです。

 とはいえ、
上記の例答は「合格を勝ち取る」という観点から非常によくできたものです。

 そもそも、わずか数分で数十字(上記の問題は70~90字)の答案を書く「記述問題」で「本当の気持ち」を書けるはずがありません。

 また、「本当の気持ち」と言ってもあくまで小学生が「解釈」した結果に過ぎません。

 自分の「解釈」を納得のいく言葉で書いたとしても、採点者が評価してくれるとは限りません。

 それに引き換え「愛情」「感謝」「心の繋がり」などは合格のための「鉄板ワード」とも言えます。

 どこまで評価されるかは分かりませんが、採点者としては減点しにくいことは確かでしょう。

 採点基準があいまいな「記述問題」では一定の得点を見込みやすく、私も「このような言葉を入れた方がいい」と生徒さんに指導するでしょう。

 しかし、「記述問題」で最も危険といつも思うのはこの点です。

 続きは次項で。

(この項、終わり)
 

*1)出題校は09年度の駒場東邦中学、例答作成者は過去問集としては最大のシェアと見られる声の教育社。問題と例答の選択はあくまで任意です。