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ERIKOってどんな人?50話
お客様の声
第一弾Hさん10代のころから・・・(before→after途中)①
第一弾Hさん10代のころから・・・(before→after今)②
【お客様の声第三弾】Kさん②
〈通い始めてからの嬉しい体の変化〉
・慢性的な首、肩の凝りがなくなった。
・バランスの悪かった鎖骨が左右対称にきれいに
出るようなった。
・通う前はスキニージーンズなど
細身のジーンズを履けなかったのが履けるようになった。
肩周り、肩の付け根の凝り固まった筋肉と贅肉がずっと気になっており、自分でもマッサージするなどしてほぐしていましたが、どうにもならず‥。しかし、その凝り固まったものをゆるめていただき、今は肩周りがスッキリしました!
👇前回までのお話はこちら👇
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to be continue
シングルマザーなのでつい
キャッチボールやバトミントンと
自分が幼いころに当たり前にしていた
当たり前に家に有ったものも
私が用意しないと無くて
ドッチボールが大好きだった私は
先ずはサッカーボールでボール投げ(笑)
男子だしカラダ動かすことが
好きであってほしいという思いは自然にあって
ボールを投げることは
当たり前だと思っていたことも
これもやってなければ
できないことなんだと気が付きました。
私は好きでやってきたので
教わった記憶はないけれど
兄弟近所の環境が整っていたので
出来るようになったのは自然でした。
都会は
あえてチャレンジしないと
知らないまま、知っててもできないまま成長しちゃう。
ましてや私しか相手しないってことは
私のあたりまえが
息子のあたりまえになっていくわけで
責任重大
どんな子供になりどんな大人に成長するのか。
高校生になった今でもまだ
これからどんな大人になっていくのかは
想像もつかず。
上手く育っているのかも
そうでもないのかも
結果はまだ出てなくて
大学生になっても
社会人になっても
これでよかったと思えるのって
今の年齢の私の年齢でもなくて
この先孫ができた時とか
仕事を引退した時とか
どこで満足を感じるのかもわからなくて
でも今現在を充実させていければ
きっと良かったと思える人生を歩けると思うけれど
人生全うしてみないと結果は分からない(笑)
ということで
どんな人生を選んでも
自分で選べる人生を歩んでほしくて
でもそのためにはいろいろと経験してほしくて
当たり前の楽しさを
当たり前に感じてくれる感性を持ってくれることが
まず最初の私の課題でした。
というのも。
私。
知らない間に塾には通わされていたような気はしましたが(笑)
(これは恐らく長男の反省を生かして母が自然に仕向けていたものと思われるwww)
それもあまり乗り気じゃなかったのか
宿題を一つもしていった記憶がない
なので息子は凄いと本気で思ってまして(笑)
本人がやる気になってないと結局身になってない
友達、習い事、クラブ、部活、高校、大学、就職
全く親に何か言われた記憶がない。
兄がやっていた習い事も
無理やりさせられた記憶もないし
したいと思ってなかったからか
流されて私もやるーとはならなかった。
私は私。
好きなことをさせてもらってきたように思います。
ドッチボールからバスケ部への移行も
自分がしたくて始めたし
何よりも父も母もバスケットはやったこともない。
私の選んだことにとやかく言われた記憶がなくて。。。
ということで息子には環境は与えるけれど
やるのかやらないのか
やってみてから選ぶのは本人に任せてます。
といっても仕向けた事はあります(笑)
やりたいと思うように
毎日毎日サッカーをしているグラウンドを
覗きに行ってました(笑)。
3歳のころにも一度やってみる?
って体験させてみたけれど
たくさんのお兄さんが達がお世話をしてくれるので
寄ってきてくれたのが怖くて
私から離れなかった(笑)。
それでも一年後くらいにまた毎日
グラウンドに観に行くと
5歳になる前くらいから
やってみたいと再度トライ。
私の手を離れて走っていきました。
誰かに左右されることなく
先ずは一人で始めましたよ。
コーチも遊んでくれて楽しくって
サッカー人生はここから始まりました。
そしてサッカーで本当に良いのかを含めて
野球体験
バスケット体験
もさせました。
幼児さんで体験させたバスケット。
今思えばサッカーも野球もそうだったのかもしれませんが
私が経験があるので
一緒にできて子供たちと近くで関われたということで
感じる事ができたと思われる
小学生にして先輩たちのカラダがガチガチなこと
プロで活躍している人たちは
おそらく恵まれた体で
ケガをしないカラダの使い方を教わったり
自然に出来ていたり
でも多くの人は
スポーツは怪我が付きもの
と痛くてもやるものだと
サッカーのコーチからも言われたと思います。
これは。。。
絶対に違う。
けれどこの痛みは多分すぐに治るもの。
でも私には治す力もないしどうしたものか。。
うちのサロンの人たちがやってくれるわけでもなく。
私ずっと女性のための子供の為の
何かがしたくて悶々としていました。
悶々としている時間が長くて
でも当時はまだ施術を自分がするなんてことは
全く考えてなくて。
施術はするもんではなくて受けるものだと豪語してました
ある時
とある女性と話をしていて自分が何をやりたいのかまだわからない
でも女性のための子供の為の何かがしたい
っていう話をしていたら
あなたもやればいいじゃない
と言われたました。
そっか。
私がやればいいんだ
初めてお腹にすとんと落ちた気がしました。
私がやれば子供たちも痛みが解決するなら
話は早い。
そっかやればいいんだ。
と。
サロンに戻って
『わたしやりますー』
俺が言ってた通りだろーと兄は言いましたが
兄から言われても全く響いていなかった私。
そんなもので。
心に落ちる時って
無理やり落とし込もうとしても落ちないし
そんなもので
さらに言うと
そこには何故か根拠のない自信もあって
なんかやれそう
から始まったセラピスト人生でした。
当時私は40歳くらいだったかと(笑)
早いもので施術を始めて9年がたつのかな。
子育てもセラピストスタートの時も
初心者。
子供と一緒に成長すると決めて
楽しく苦しく色々ありましたが今日まで来てます。
楽しい子育ても
何にもなかった訳ではありません
仕事もそんな簡単なものでもありません
でも私の特徴がここから炸裂します。
ここからセラピスト人生がスタートします。
こころとカラダのリメイクプロデューサー
ERIKO
でした