自分の人生を絶えず見直していくことが、その関連を見出す助けとなります。カルマ返済のスピードは、その個人の成長の度合いによって違います。時には、その一生の中では臨界点に達しない場合もあります。これらの宇宙原則の観点において人生を点検してみても、疑問の答が見つからないような場合、あとは「生まれ変わりの理論」だけが説明することが出来ます。


想念が現実化される全プロセスは、カルマのサイクルです。私たちの人生はカルマのサイクルの連続です。カルマのサイクルの真っ只中でなければ、これらの不変の法則への気付きは、カルマの道筋を変える力となります。カルマの周期が終わろうとする前でなければ、人生を見直し変えることの出来る叡智と自由意志の選択のパワーを持っています。上空の霧は、すでに飛行中の飛行機のコースを変えることは出来ません。でも地上にいる時だったら、次の飛行の方位を変更することは出来るのです。


「なぜ世界はこんなにひどいのか?」と尋ねる時、私たちの見ている世界は、私たちのネガティブな想念や感情の現れです。でもどれだけ精一杯、ポジティブに考えようとしても、マインドはネガティブな方向に流されてしまいます。それじゃ、どうしたらいいのでしょう。


結局は、賢明な医者が常に言うように「治療より予防」です。本当の予防は、ハートの変容や開花を通してのみ可能です。バガヴァンは言います。「愛を見出したら、どう生きるべきなのかはっきりと分かるでしょう」でもこの愛は育成されるものではなく、聖なる恩恵の介在によってのみ起こるハプニングなのです。愛を発見することは悟ることです。そして、それは自分の力でなし得るものではなく、与えられるものなのです。


Oneness Univercity HPより抜粋


人生の様々な局面において、何度となく何か重大なことが起こるたびに、マインドの中に最も浮かぶことは、「なぜ私が?」ということであろう。「私が人生の中で、一連の難しい状況に直面させられるのはなぜなのだろうか?」特にネガティブな状況の場合、何が起こったとしても、人は他の人を責めるか、神を責める傾向にあります。でも実際に、私たちに降りかかったことについて、誰に責任があるでしょうか?コントロールする外的な要因でしょうか?それとも、私たち自身に責任があるのでしょうか?


バガヴァンは言います。「私たちが、自分たちの人生の設計者です」と。私たちは自分たちの人生で何が起こるかについて、完全に、そして全て責任があります。マインドと事象は繋がっています。マインドは事象に影響を与え、事象はマインドに影響を与えます。事象に及ぼすマインドの力は、創造的な想念の力です。この宇宙は、人間存在の基本である確かな法則や原理の元で動いています。それは、宇宙においては科学の法則であり、人生においてはカルマの法則として働いています。


カルマの原理の一つはこのように伝えています。ヤッド・バヴァム・タッド・バヴァティ(あなたはあなたが思う通りの人になる)と。世界は、私たちの内側の状態の現れです。私たちが出くわす状況・出逢う人々・直面する問題・そして様々な人生の体験は、その中に内包するものの反映なのです。言い換えるなら、私たちが私たちの現実を作っているのです。私たちは自分の運命の設計者です。知覚機能がフィルターとなり、リアルな体験を濾過します。そして知覚された現実は、最終的には外に現れる現実となってしまいます。あなたはあなたが思う人になります。自分たちが知覚するものを発見します。想念はとてつもないパワーを持ちます。それは創造する力です。


私たちが知覚するたびにチャージすなわち感情を含んだ想念が隠れていて、創造のプロセスが動き始めます。一本の矢が、エーテル界すなわち想念の領域へと放たれます。ひとたび放たれると「同質の種を引き寄せる法則」は強められます。この想念は同種のあらゆる想念を引き寄せます。同種の全ての矢がまとまり、限界値に達する時、「相互作用の法則」が働き始めます。放たれたあなたの想念は、今や行為となって現実化されます。あなたは自分が蒔いた種を何度も刈り取ります。あなたが放った矢が「裁き」であれば、あなたは裁く人々に出逢います。それが「裏切り」であるなら、あなたは裏切られるでしょう。憎しみであるなら憎まれるし、怖れを持てば、すぐに状況として現れるでしょう。


「なぜこれが私の身に降りかかるのか?」と言うことは、パラドックス以外の何物でもありません。あなたは自分自身でそれを創り上げます。我々は想念と行為との相関関係を知覚することは出来ません。多分、記録していくには、その二つの間には多大な時間の経過が必要になるのです。想念から行為、それは1週間かかるかも知れないし、1月、1年、もしくは10年以上かかるかも知れません。幼い少女シーマは、自分が病気になるか、そばからいなくならないと、人々が自分の価値を認めてくれないと、いつも習慣的に考えていました。でも、月日が経ち、結婚してそのような考えは忘れていました。ところが、彼女が夫や子供達と素晴らしい人生を送っているまさにその時、彼女は癌に襲われ、もはやどんな処置でも助けることは出来なかったのです。


Oneness Univercity HPより抜粋  

精神病院の訪問者は、患者の一人が椅子に揺られながら、優しく満足したように繰り返しつぶやいているのに気付いた。「ルル…ルル…」

「彼の問題は何ですか?」彼は医師に尋ねた。「ルルというのは、彼をもてあそんだ女性です」

彼らはそのまま進み、隔離病棟に来た。そこでは患者が繰り返し頭を壁にぶつけながら呻いていた。「ルル…ルル…」

「この男もルルが原因なんですか?」訪問者は訪ねた。「そうです」医師は答えた。「彼はルルが最後に結婚した男です」


望みが叶わない時だけでなく、望みが叶ってもやはり苦痛は存在します。絶えず期待することで、人間関係は苦痛で息苦しいものに変わります。


バガヴァンは言います。「期待は、満たされないと苦痛です。それは不満や憎しみに変わります。でも期待は、完全に満たされてもやはり苦痛です。それは退屈へと形を変えます。それゆえ大抵の人間関係は、古めかしく飽き飽きとしたものになります。そして充足と喜びとを求めて、新しい牧草の地を求めるようになるのです。「期待」の実際のプロセスは苦痛です。人生は「待機」の長いプロセスにあるかのようです。


私たちは嫉妬・怒り・憎しみ等の感情の中で混乱しています。不安定な人は不幸な人なので、自分の周りや親しい人々にも不幸を創り出してゆきます。

あなたのもの・あなただけのものである唯一の関係、唯一の存在があります。それはあなたのアンタリアーミンとしてのバガヴァンです。


Oneness Univercity HPより抜粋

熊は、檻の中20フィートの間を行ったり来たり歩いていた。5年後、檻は取り除かれたが、やはり熊はまだそこに檻があるかのように20フィートの間だけを歩き続けた。


私たちも同じです。私たちたちは自分たちの条件付けの奴隷になっています。一方で条件付けがあり、他方で肉体があり、また観照者としての意識もあります。その中で今日、人が最も使っているものが条件付けです。これは他の二つを完全に抑圧します。個人個人の思考や会話や行動を、特定のパターンに条件付けしているのは、「良い」「悪い」や「正しい」「間違っている」のような、あらゆる分離を備えている社会です。


バガヴァンは言います。「条件付けは、ハートを窒息させ知性や命の自発性を損なうものでなければ、何も問題はありません」そこには、探求や発見の余地はありません。知覚は狭まってゆきます。人生のあらゆる状況への反応が、前もって決められ限定されているために、息が詰まりそうです。あなたはプログラムされたコンピューターのようです。何の自由もありません。広大なマインドは学びを必要としています。聞くことの出来るマインドだけが、学ぶことが出来ます。そして聞くことは、反応する用意が出来ていなければ起こりません。条件付けされたマインドは、異なる状況を受け容れるだけの柔軟さに欠けています。私たちは、自分たちが「正しい」「間違っている」というゲームに引っかかっているのを、どれだけ目撃することでしょう。私たちは、新しい考え・新しい観念・新しい信念に出会うたびに混乱や衝突が起こります。私たちは傷つき、自分たちが真実であると信じていたものを手放すことを怖れます。概して、私たちからエネルギーを奪い、苦しみを引き起こす不必要な思考が数多くあります。


条件付けは、自分が生き残るために、あなたの人生を利用します。条件付けからの解放は、悟りです。


Oneness Univercity HPより抜粋


ディクシャとは、ヒンドゥー教で「シャクティパット」と呼ばれる古代のシステムです。それは、人類の歴史を通して、ほとんどすべての国において、さまざまな形で行われていました。なぜなら人類は、一つの身体から他の身体へ、一つのマインドから他のマインドへと、エネルギーを転写することができるものだからです。


それは、時代を通して、すべての大陸、あらゆる文明において行われていました。ヒンドゥ教においては、少なくとも数世紀の間、ディクシャとゆうシステムがかなり保たれていました。実際のところ、グル(精神的なマスター)とは、他の人に自分の意識状態を転写する人の事を指します。


グルとは、何かを語り続け、教えを与える人のことではありません。グルは人を準備させる為に教えを伝えるかもしれませんが、しかし実際には、グルは、意識状態を転写することを求められているのです。場合によっては、教えを使うことによって、彼らに明晰な理解を与えることはあるかもしれませんが、、、、、


ところが時代と共に、人々はディクシャを与える能力を失って、教えをその中心に置き換えてしまいました。そして、人々は話すことばかり、分析ばかりを続けました。


結局、分析は麻痺状態を生むだけです。


これが、今日の世界で起きていることです。



(Oneness on the earth…こころの扉を開く旅より抜粋)