昨日友人と話していて山岸涼子さんの「天人唐草」の話になったので

ふとアメブロのアプリをみていたときに自分の過去記事にアクセスしてくれている人もいるし、

リブログしておきます。よかったら読んでください。

 

 

最近、関ジャムの坂本龍一特集をみていて (ティーバーでみたのですが)

教授が音楽を作るのは誰かのために作ることはほぼなくて

自分のために作るという話が

 

山岸先生がこれまで漫画を描いてきて、自分のためにしか描いたことがないという発言と一致していたので

そうだよなとあらためて思いました。

 

人の心に響くのはその人が自分のためにおこなったものなのです。

 

「天人唐草」はのちにアシストタントの方の漫画にて裏話があり、

山岸先生がこの漫画をかなりいやいやながら描かれていたということが

彼女が表現することにおいてひとつのブレイクスルーとなる作品になったのだと思います。

 

作り手は常にノリノリで楽しく書いている、描いているわけではないのです。

 

そして人のために書くこともほぼありません。

 

※教授は映画音楽はまったく別で監督のため、作品のため、聴衆のために曲を作ること

あと例外として福島だったリ、被災地といった場所のために作ることもあると追記していました。

 

 

作家の田口ランディさんも書くことで自分を癒してきたということも書かれています。

 

芸術やその周辺の表現は常に自分のためにおこなわれます。

 

 

フラワーエッセンス療法などセッションの中でその人が取り組む姿や表現に常に胸をうたれるのは

自分にしっかり向き合っているからでしょう。

 

今の世はマーケティングによって人にどう見せていくのか

相手の要求にあわせて提供していくことが多いかと思います。

 

それも生きていくには大事な面ではありますが

芸術や癒しの分野においては違うともいえます。

 

 

癒しに携わる人間の場合は、自分に対する取り組みなくしては

他者へのサポートはできないということですが。

教えるにしても薄っぺらいものになります。

 

 

 

最近、自分らしい表現ができるためには

そのための状態を調えていくということがとても大事だと考える事があります。

 

それは体調、肉体、メンタルの状態がまず第一。

環境もあるけど、場合によっては環境は関係ないときもあります。

 

私は思考状態というか神経的に忙しいときは難しいです。

これも結局体調と関連するとは思います。

 

だからやたらとセルフケアのレパートリーが増えていくのかもしれません(笑)

 

 

天人唐草 自選作品集 (文春文庫)

 

 

「天人唐草」の裏話が書かれてるのはこちら。

薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―