市営プールでは、「バタフライ泳法は禁止」というところが多い。
 波のうねりが大きく、周りの人に迷惑というのが理由らしい。

 今はどうだかわからないが、学校の授業ではあまり熱心にバタフライを教えてもらえる機会はなかった記憶がある。

 だからバタフライは難しい。

 そのようなイメージを持つ人が多いのかも知れない。

 一旦マスターすれば、これほど水との一体感が気持ちいい種目もないと思うのだけど。
 ま、そのぶん周りにうねりを撒き散らしてるのかも知れないが(笑)


 バタフライをマスターしたのは中学の時だ。

 小学生から自由形で試合に出ていたが、中学になって私はバタフライに転向した。

しかも、大会の一週間前だった(笑)
あとになって振り返ると、無茶振りとはこの事を言うのだろうと思った。

 オマケに無茶振りをしたにわか水泳部のにわか顧問は、私が独学でムリヤリマスターしたバタフライを見て、いきなりダメ出しをした。

 ダメ出しするくせに、教えようとはしない。
 教えられなかったのだ。

自分が泳いだことないから、というのがその理由だった。

 レークプラシッド五輪だったかな、アイスホッケーのアメリカ代表チームの監督は確かアイスホッケー経験なしで、チームを金メダルに導いたっけ。

雲泥の差だ。


 だがその教師、もうエントリーしてしまったとのたまう。
 どこまで筋肉脳なんだ。

 仕方がないので、家に帰り、ドレッサーについていたスツールに腹這いに乗り、鏡を見ながら手の動きと足の動きの最適なタイミングを、教科書を見ながら逐一チェックした。
 そして、プールでそれを試す。それを繰り返した。

 したことのない泳ぎを理論と実践を同時に重ねてマスターする。
しかも時間がない。

 今思い出しても無茶なチャレンジだったと思う。

 試行錯誤が3日程続き、4日目、私は突然水の抵抗を全く感じなくなり、楽に前に進む自分を感じた。

 まあ、その時の爽快感!
 自由形よりうんと楽じゃん!

 取り敢えずどうにか独学でバタフライをマスターした瞬間だった。

 当然ながらもはやタイムを上げるとか、勝つとかはどうでもよくなってる。

「参加することに意義がある。」

子供ながら諦念の領域(笑)


 そんなわけで大会にどうにか出場したのだが、なんと、優勝してしまったのである。

びっくり!\(◎o◎)/


 今にして思う。

 あのとき体験した事は、執着を手放したところに、望む結果が手に入る事があるということだったのだ。



 ただ、当時の自分は、どこまでもひねくれたネガティブな思春期の中学生だったので、リアルにその事を体験する貴重さを実感出来てはいなかった。


 ロンドン五輪の水泳予選を見ていてふと思い出した事だ。


 水の中にいることは、右脳を活性化するのに役立つらしい。

 もう少し暖かくなったら久々にプールに行こうかな。

 競泳用の水着と、帽子と、もはや玉ねぎのみじん切りの時にしか使わなくなったゴーグルを持って(笑)