ハトのじいじは、あるオーストリアのヒトの思想に感銘を受けました。


それは、「ユウアイ」という考えかたで、世界のヒトたちが、仲良く出来るためのほうほうをかきあらわしたものでした。


そのオーストリアのヒトは、おかあさんが日本のヒトでした。


日本人のおかあさんがオーストリアのヒトであるおとうさんにみそめられ、ひとり、いこくの地にわたることは、ムカシはとてもゆうきのいることでした。


それに、ムカシはかみや目の色、話す言葉が違うだけで、いじめられたり、無視されたりする時代でした。

それでもオーストリアで、おかあさんは、日本人としてのほこりを持って、つよく生きていこうとしていました。


おかあさんは、こどもたちにも、日本人のちが混ざっているから、というりゆうだけでいじめられることに負けないようにと、きびしいしつけを行いました。


けれども、こどもたちはしだいにおかあさんをうっとうしく思うようになり、つぎつぎに家をでていってしまいました。


おとなになって「ユウアイ」の本をかいたむすこであるオーストリアのヒトも、おかあさんと、おかあさんのめんどうをみていたおねえさんをほったらかしにして、家をでていってしまいました。


それから、おかあさんは、めんどうをみていたおねえさんにみとられながら、さみしくなくなってしまいました。

「ユウアイ」の本をかいたむすこは、おかあさんのおそうしきに行きませんでした。


そのご、おかあさんのめんどうをさいごまでみてきたおねえさんも、きたないアパートのかたすみでひとりさみしくなくなりました。
それでも「ユウアイ」の本をかいたヒトはおそうしきに行きませんでした。


「ユウアイ」とは、みんなでなかよくしましょう、といういみなのに、そのことをほんにかいたオーストリアのヒトは、じぶんのかぞくのことは、けっきょくほったらかしにしたままでした。


「ユウアイ」のきもちがだいじというのであれば、まずはかぞくのことをあいし、まもるきもちをもつことがだいじだとおもいます。


「ユウアイ」のほんをかいたヒトは、きっとおかあさんにほめられなかったので、そのかわりにたくさんのヒトたちにほめられたくて「ユウアイ」のほんをかいたのでしょう。


でも、それはじぶんのきもちだけをだいじにして、ほかのひとをだいじにしているとはいえないとおもいます。


わたしたちは、おとうさんやおかあさんなどの、みぢかなヒトたちにあいされて、まもられることのここちよさをたいけんして、はじめてほかのヒトにもおなじようにここちよくしよう、とこころからおもえるようになり、やがて「ユウアイ」をたいどでしめすことができるようになるのです。


オーストリアのヒトは、せっかく「ユウアイ」のほんをかいたのに、おかあさんやおねえさんにたいしては、「ユウアイ」のてをさしのべませんでした。


そのオーストリアのヒトは「ユウアイ」のほんをかくことで、じぶんはもっとあいされたかった!といいたかったのかもしれません。


このように、にんげんは、たくさんのこころをもっているのです。



「ユウアイ」というかんがえかたにかんどうしたハトのじいじやハトは、そのことをわかってなお、ほんとうにヒトのココロをたいせつにできるヒトたちなのでしょうか。
とりわけ、ハトは、わたしたち日本人にたいして、

「日本というくには、日本人だけのものじゃないよ」

と言っています。


さきほどもふれましたが、ヒトは、じぶんはまもられている、というここちよいたいけんがないと、ほんとうにじぶんやほかのヒトをまもることはできないのです。


あんしんしてくらせるおうちがないと、わたしたちはふあんでなきたくなります。


ハトは、そんなヒトたちのきもちをまるでじぶんのことのように、わかってくれるのでしょうか。


いま、じしんやつなみ、げんしりょくはつでんしょのじこでおうちをなくしたひとたちに、ほんとうのやさしさを、わけあたえるだけのココロがあるのでしょうか。


わたしはとてもしんぱいです。


もっとしんぱいなことは、
わたしたち日本人が、
まるでなんかいもねじまげられたあげくにポッキリとおれてしまったはりがねのように、「ゆうじょう」や、「あいじょう」をだんだんとないがしろにして、やがてしんじなくなっていくことなのです。