実家からやっと家に帰ってきた。4月末日以来の家だ。

 途中、母が妹の嫁ぎ先に遊びに行くついでに一緒に帰ろうとしたのだが、何となく留まりたくなり、独り田舎に残る事にして結局今日に至った。

 朝晩2回犬を散歩させ、あとは普段あまり見ない特別ドラマを見たり、ピアノを弾いたり、古き懐かしい本や雑誌を読んだりして静かに過ごす。

 留守番の間一夜のみ、一年ぶりに逢った友人と共に、地元でイタリアンの店を営む友人の店に行き、お酒を飲みながら取り留めのない話をして遅くなった事があった。
 それ以外はシンプルな生活で、かといって特に退屈もしなかった。


 母が帰宅してからやっと父の墓参りをし、独りで墓周りを掃除した。
 その間母は、畑の一部を借りて作った玉ねぎとグリーンピース、そら豆を収穫し、夜には麦酒と共に胃袋におさめた。


 時間がゆっくりと流れていく…
ごく普通の生活だ。


 …と、思いながら、こちらに帰り着いた途端に、シクシクと胃が痛み出した。


 のんびりゆったりとしたつもりだったのだが、意外と気を遣っていたのだろうか、と思ってみたり、またこちらで生活する事の見えない圧力なのかと感じてみたり、少し複雑な心境である。

 長い夢から醒め、それを惜しむ子供のようでもあり、まるで自分の中の「母子一体感」がまだどこかで遺っていたかのようだ。

 今日は母の日。離別感とともに、
「お世話になりました、ありがとうございます。」
と、メールで伝える。


 別に嫁に行くわけではないのだが…


 そういえば、「どんど晴れ」の総集編では、盛岡の若女将を演じる比嘉愛未の美しい花嫁姿が出て来た。

 憚りながら、自分に置き換え妄想してみたが、金屏風に立った自分は多分、もはや「夫婦漫才」のような雰囲気になってしまうのだろうな…と思い、つい笑ってしまった。三枚目キャラには三枚目キャラに相応しい雰囲気があるものだ。


 総じて田舎暮らしは心地良かった。だが、こちらに帰って来たら来たで、それなりに落ち着くのも真実だ。


 ふるさとは遠くにありて思うもの


 私のふるさとは生まれ故郷ではない。
そのせいか、何となく自分は流浪の民のような心持ちで生きて来た期間が長いのだが、
最近はこの句の心境も、わからなくはないと思うようになってきた。

 でも今や、こちらで生きている時間が長くなってきたので、いざこちらに帰って来ると、田舎暮らしのすべてが、実は「非日常」だったのだ、と悟る。

 「非日常」には日々の生活を愉しくする為の気付きが沢山あると改めて思った。

 一番の気付きは、日々生かされている事への感謝だ。これは、久しぶりに自然をたっぷり味わったおかげだろうと思う。