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ただ今、田舎から帰って参りました。


田舎は曇っていましたが、島原側は晴れていて、
珍しく雪帽子をかぶった雲仙が、海の向こうに見渡せました。


田舎では、娘と娘の彼氏、昨年暮れに電撃入籍した妹夫妻とともに、
馬刺しや鯛のお刺身に舌鼓をうちました。

妹の嫁ぎ先が酒蔵なので、頂いた大吟醸のお酒を、一升程頂きました。
基本的に日本酒は辛口以外は苦手ですが、こんなに頂いたのは久しぶり。


昨晩はさすがに食べるのも飲むのもセーブしました。


昨晩は、小澤征爾とサイトウキネンオーケストラとのドキュメントにて、
チャイコフスキーの中で一番好きな
「弦楽セレナード ハ長調」を聴きました。

これまで張り詰めていた一本の糸のような何かが、心の中で弾けました。



「たかだか病を患ったぐらいで、こんな事を言うのもおこがましいんだけどね、

音楽、
…それは、どんな楽器でもいいし、お風呂で唄うような鼻唄でも何でもいいんですが、

音楽を通じて、いのちが繋がっていること、改めていのちを大切にしなければならないということがわかったというかね…云々…」


この言葉に泣いてしまいました。


食道がんからの帰還者である方だけに、この言葉は重いし、奥が深い。


ああ、彼は自身の体の中に眠る宇宙と、外に啓かれた宇宙との一体感を、
きっと体験したのだろうな…と感じた瞬間、


ポロポロポロと、あとからあとから涙が零れてきてしまいました。


これこそおこがましい表現なのかも知れませんが、
私の心の奥底にも、
小澤征爾氏の振るタクトから生まれたバイオリンの繊細なCの音を通じ、
宇宙からの暖かい一筋の光が届いた瞬間なのでした。


なあ、私よ、
私は私のためだけにやっと泣けたのかな…


やっと出てきてくれたんだね、

「感動」に涙する人生を送りたい、
本当の私よ…



母も、娘も、娘の彼氏もその場にいたけど、
私の涙を、黙って見てみぬフリをしてくれました。

私の性格を理解してくれているが故の優しさなんだろうな…と、思いました。



私も来週には、3ヶ月に一度の定期検診を受けます。


病は様々な心模様を、終わりのない万華鏡のように体験させてくれます。


そして、涙は私にとっては、
いつでも「始まり」です。


私は帝王切開で産声を上げぬまま産まれた未熟児でした。

50日間は、保育器がお母さん。

少しでも風邪を引けば、いつコロッと死んでもおかしくない、と言われていたそうです。


で、あればこそ、

心の奥底から湧き上がるような涙が、自分にとってはいかに貴重で大切なものであるのか、
何となく肌でわかっているように感じるのです。


少し遅くなったけれども、
昨晩、私はマイペースな私らしく、やっと新しい年を迎えたのでしょう。


さて、そのようなわけで無事に帰り着いたので、
先ずはまた元の質素な生活を始めます。