日本のマスメディアのニュースやその他の番組の主なターゲットは、

一説によれば、

「50代高校卒業程度の主婦層」なのだそうです。



 私の学生の時分は、「小論文」の上達には「朝日新聞」を参考にすればいい、と、まことしやかに言われていました。



 40代以上の人達の多感なる青春時代には、今のようにインターネットがありませんでした。



 新聞やテレビが時事問題を探る主たる手段でした。



 それがどのような弊害を齎したのか。



 先ずは、日韓併合、満州事変以降の歴史問題において、敗戦後のGHQ主導の誤った「自虐史観」を定着させてしまった事。



 GHQ側が一方的に呑ませた「日本国憲法」の第9条を無条件に迎合する風潮を定着させてしまった事。



 戦後のGHQによる公職追放による撹乱行動により、日本の持つ長い歴史にそぐわぬ共産主義或いは社会主義の人間を、教育・学術界に復帰、跋扈させてしまった事。



 これらの事が日本人の教育や、歴史観に悪影響を与えていると思います。

 その悪影響は、おそらく70代のご年輩の方にまで及んでいるのではないでしょうか…



 平和憲法を何が何でも守りたい、と、おっしゃる方の中には、こういう方もいらっしゃいました。



 「たとえ自分の家族の最後の一人が殺されたとしても、私は笑って殺されたい。」



 もはやカルト宗教の洗脳のようですね。



 そのような一方で、彼らは実際の生活においては恐ろしく狡猾で、事勿れ主義でもあります。



 ある日、暴力団風の男性が新幹線の中で、強姦を繰り返した揚句に逮捕されました。



 この事件からわかるのは、彼が逮捕されるに至るまで、女性達が犠牲者になっているのを目の当たりにしながら、

「見て見ぬふりをしてきた大勢の人間達がいる」、と、いう事実です。

 これでは平和主義者ではなく、ただの偽善者です。



 自分自身にも当て嵌まる点があり、反省させられます。





 「丸腰の人間に銃を向ける国はない」

というのは、ただの妄想です。



東京大空襲はどうでしたか?

広島・長崎への原爆投下は?

 アメリカは、日本がポツダム宣言を受諾する事を察知していながら攻撃したのです。

 そして、彼らが次にターゲットにしていたのは京都でした。

 「非武装宣言」を出していながら、英米連合国軍に攻撃を受けたドレスデンの例もあります。



 みなさんはいかがでしょうか?



 あなたや、あなたの家族に銃が向けられた時に、笑って殺される道を選びますか?



 私は嫌ですね。



 このように頭がお花畑の日本人を醸成してきた教育のありかたに、ありがたい警鐘を与えて下さる方がいます。

 激動の時代を生き抜いて来られた方の言葉だけに、重みが違います。





■金美齢氏のホームページ



http://www.kin-birei.com/column/101004.html








■林 建良 『日本よ、こんな中国とつきあえるか?―台湾人医師の直言』(並木書房、2006年)より引用



第2章 台湾から見た日本および日本人  争いを避けたがる日本人に平和は守れない

6、博学にして無知な日本人



●被害者に命の尊さを説教する?



 日本に来て一番感心したのは、日本人の知識の高さであり豊かさである。
 日本の一般庶民が、台湾の庶民に比べて豊富な知識を持っていることに驚かされた。ごく普通のおじさんやおばさんでもかなりの教養を持っていて、文化、芸術、文学など、いろいろなことについて知っている人が少なくない。

 私は栃木県の片田舎で生活しているので、まわりには農家の人が多い。
 そこには俳句や短歌を作っているおじいちゃんやおばあちゃんたちがいて、彼らはよくその作品を私に見せてくれる。
 なかには、絵を描いているお年寄りもいて、その絵をもらったりもする。
 話をしてみると、国の経済状況にしろ社会状況にしろ、それなりの知識を持っていて、私の知らない話をよく聞かせてくれる。

 日本に来る前から、日本人は本を読むのが大好きだと聞いていた。
 実際、日本に来て本屋をのぞいてみると、思っていた以上に出版されている数が多いのに驚かされた。
 あらゆる分野を網羅し、手に入らないものはないのではないかと思い、日本人は出版物には恵まれていると感心した。



 おそらく日本人は、世界のどの民族と比べても知識の点では最高水準にあるのではないかと思われる。

 しかし、なぜか非常に幼稚とも見えるところがある。
 無知に近い、あるいは無知と言っていいような現象を見聞きすることが多い。




 私がよく予防注射に行く栃木県今市市(現日光市)内の小学校で、一年生の女の子が殺害されるという事件が起こった。何とも酷い事件である。

 このような事件が起こると、学校では決まって全校集会を開き、子供たちに命の尊さを説教する。

 しかし、これは異様な光景だ。
 被害者になっていたかもしれない子供たちに、命の尊さを説教するということにどういう意味があるのだろう。
 子供たちに命の尊さを説教するのは滑稽としか言いようがない。
 命の尊さを説教するなら、犯人にすべきなのである。
 子供たちに教えるのは、いかに自分の身の安全を守るか、それだけだ。



●人間の善の面ばかりを強調しすぎる日本の教育


 日本の戦後教育を見ていると、人間の善の面ばかりを強調して、悪の部分には触れたがらない傾向が強い。
 まるで童話の世界を見ているようだ。
 しかも、それは幼い者に対するほど顕著で、制約を極力なくして、本能的な部分を尊重しているようだ。
 かつて小児科も担当していた私から見れば、これは子供の動物的部分を放置するようなもので、教育の放棄でしかない。



 たとえば、個性の尊重を強調する。
 しかし、人間はそもそも自己中心的なので、教えずとも本能として個性を発揮する。
 学校教育というのは、自分の個性だけではなく他人の個性を尊重し、社会のルールを守ることを教える場だ。
 それを、個性や自由といった本能に類することを教えるというのだから、これが学校教育と言えるのかどうかはなはだ疑問だ。



 また、幻の平和と反戦を吹聴する一方で、正義感と冒険心を意図的に子供たちから取り除こうとしている。
 そして、決まって命の尊さを説教する。
 子供の悪に相当する動物的部分を放置しながら、正義感と冒険心を抹消しようとするこのような日本の学校教育は、偽善的で偏っているとしか言いようがない。



 そもそも、子供が善の存在だというのは幻想にすぎない。
 子供にも悪の部分はある。

 だからこそ躾が必要なのであり、さらにこの世には善もあれば悪もあるという現実を子供に教えるべきなのである。

 悪の存在を教えないような教育であれば、当然ながら悪に向かっていく正義感も育たない。
 また、我が身を守る心構えも育たないのである。



 このような教育はつまるところ、子供に迎合して教育しているのである。
 知恵のある者が知恵のない者に合わせて教育しているということである。
 こういう教育の現状を見てしまうと、これは無知に基づいてやっているとしか思えないのである。



 私は地域診療のかたわら、地元の小学校と中学校の学校医も務めている。
 日本の教育は子供に媚びる傾向が異様に強いように感じている。



【…以下2へ続く】