【インナーバランス】
誰かに/会社に/社会に認めてもらいたい
みんなに注目されたい
影響力を持ちたい
こんな思いから、
仕事を一生懸命頑張ったり、
評価されるように頑張ったり、
一生懸命アピールしたり、
どれだけ凄いかを自分の周りのものでアピールしてみたりする。
そんなことを、人はついやってしまう。
私もよくやってきた^^
でも、これらは、本当はこんな風に言い換えられる。
自分で自分を認めたい、納得できる自分でありたい。
自分の考え、思いを知って欲しい、わかってもらいたい。
自分に一目置けるようになりたい。それ位、自分に満足していたい。
誰に認めてもらいたいのか?誰にわかってもらいたいのか?
誰に注目されたいのか?誰に満足してもらいたいのか?
自分で自分を認められないから、他人に認めてもらおうとする。
自分で自分をわかってあげないから、他人にわかってもらおうとする。
自分が自分に注目してあげないから、誰かに注目してもらいたいと思う。
自分が自分に満足していないから、誰かの言葉や賞賛、目線、
そのようなものでそれを満たそうとする。
どうして自分を認めてあげられないのだろう?
どうして自分のことをもっとわかってあげないのだろう?
どうして自分の声をもっと聞いてあげないのだろう?
どうして自分が満足するように、自分に与えてあげないのだろう?
もちろん、人間だから、ありがとう、って誰かに言われたら嬉しいし、
褒められたら嬉しい。すごいね、って言われたら、やっぱり嬉しい。
それは素直な感情。
でも、それを外側に求め続けていたら、いつまでもずっと埋まらない。
誰かとの比較から抜け出せるはずがない。
他人を見て、他人を批判したり、反応する代わりに、
私は何を批判しているのだろう、何に反応しているのだろう、
自分を見つめてみる。
そうすると、自分の解像度がもっと上がってくる。
そうか、私は本当はこういうことがしたいんだな。
そうか、私はこれがどうしても許せないと思っているんだな。
そうか、私はこれを見ないで、避けてきてるんだなと。
誰かに賞賛されて、社会的な地位を得て、聖人と呼ばれたり、
立派な人と呼ばれたりするかもしれない。
でも、もしそうだとしても、自分が自分を好きになれず、
愛せないままだったら、満たされない自分のままだったら、
聖人であれ、立派な人であれ、有名であっても、虚しい。
・
人生のすべてを社会のために、人類のために、地球のために捧げたい。
自分にはもう自我なんてものはなくて、無私だから、私は100%自分を捧げる。
本当に心の底から思えたなら、そんな素晴らしいことは無いと思う。
その時は、もう自分と他人の境なんて、人間と自然の境なんて、ない。
すべては一つ、その思いのみ。それと一体になっている。
心からすべての人、すべてのものを愛しているし、許している。
愛おしい気持ちが溢れているだろう。
でも、そうじゃなかったら、それはやっぱりどこか自分に嘘をついているんじゃないだろうか。嘘をついているから、その満たされないものを持っている人を許せないし、批判する。
満たされない思いを、埋められるのは誰だろう?
社会、家族、パートナー、奥さん、旦那さん、子供?
恐らくは、あなたが認めてよ、わかってよ、~してよ
になっているんじゃないかな?
自分が気づいて、自分が自分にしてあげるから、自分が満たされて、
隣にいる奥さん、旦那さん、家族、パートナー、社会に、純粋に、もっと、貢献したいと思う。
自分が自分にしてあげたことが、他人への思い、理解につながっていく。
他の誰でもない、自分に、認めて欲しくて、受けとめて欲しくて、わかって欲しくて、
愛されたいと思っている。
自分のことを見てあげられるのは、自分しかいない。
でも、長いこと自分を無視し続けてきたから、自分を非難し続けてきたから、わからなくなってしまう。混乱して、外ばかり見てしまう。
その自分とどのように向き合ったり、知ることができるのかわからない、色々試してきたけど、結局変わらなかった。もう無理だよ。そう思っていたら、本当に満足できる自分になる、
お手伝いができますよ。
自分の幸せを自分で生み出せるようになりたいですね。
どうぞお気軽に、ご連絡・ご相談ください![]()