私から私への手紙

 

あなたは、今の人生に心の底から満足していますか?

 

本当に?本当に満足してる?

 

それは、心からの笑顔ですか?

 

清々しい朝を迎えていますか?

 

目に映るものの美しさを感じていますか?

 

平均よりは悪くないとか、もっと苦しんでいる人もいるのだからとか、世の中にはもっと大変な人もいるから、それに比べたら恵まれていると思わなきゃ、、、etc

確かにそうかもしれない。そこまで困窮してはいない。それはとてもありがたいこと。今あるものに感謝して、与えられている環境に感謝する。無いものじゃなくて、あるものを見る。それは確かにとても大切なことだけれど、でも、それって、基本。どんな時も基本になること。

それとは別に、どこかで、誰かが自由に素敵なホテルに泊まり海外旅行しているのが羨ましかったり、好きな仕事をして元気に輝いているのが羨ましかったり、高くて美味しそうなものを食べてる幸せそうな人や、素敵な洋服を着て似合っている人を見て、いいなぁって、心の奥で覗き見しながら、妬んだり、僻んだり、私には無理だよって、諦めていたりしないかな?

確かに、人生は、いつも良い時ばかりではない。人に会いたくない時だって、誰にも会いたくない時だってある。病気に苛まれ、自分が惨めになる。過労で疲れ果て、一度に色々なことが重り、疲労困憊し切る時もある。そういう時は誰しもある。そんな時は、とにかく自分を一番に労わって、回復するのを待つしかない。自分ができる最低限をして、状況が改善するのを待つ。ゆっくり、焦らずに。

もうすでに十分負担なのだから、さらに刺激を与えるのは可哀そう。SNSなんて見なくていい。とにかく、ホッとできるように、リラックスできる環境に、自分の身を置いてあげればいい。

でも、ある程度回復してきたら、本当の、本当の自分の思いを無視してはいけない。

本当は、もっと収入を増やしたい、もっと良い部屋に住みたい、もっと旅行したい、素敵な洋服だって欲しい、身の回りのもの、本当に自分が大切にしたい好きなもので埋め尽くしたい。嫌な人と付き合うのではなく、本当に好きな人達と付き合いたい。素敵な人と結婚したい、心から分かり合える仲間が欲しい、もっと自分の人生楽しみたい、笑っていたい、諦めるのではなく、自分もできるんだ!って感じたい、できることを増やして、たまには自慢だってしてみたい笑

生まれてきたのだもの。幸せになりたい、幸せでありたい、幸せを増やしたい。私の人生、本当に満足だったなって、死ぬ時に思いたいよね。その本音はきっと、みんな一緒。欲しいものや対象、やりたいことの違いはあるだろうけれど、願うこと、欲しいもの、実現したい、叶えたいって、誰だって本当は望んでいる。

でも、自分の本当の気持ちに嘘をついていたら、次第にわからなくなる。こんなもんだよって諦めたら、なげやりになり、そこから進まない。

心が平穏であることは、とても尊いこと。でも、それは自分の夢を諦めることとイコールじゃない。こうしたいという思いをせずに、満足することとも違う。なぜなら、それは嘘だから。

自分が誰より知っているはずだ。たまには、自暴自棄になったりするかもしれない。でも、結局、それで一番傷つき、悲しみ、残念だと思うのは、他でもない自分だ。うまくいっている人を見て、自分と比べて苦しくなる。だから、そういう人のことを見ない。視界に入れないようにして、自分を守る。そうやって、自分の本音を見ないで、遠ざけるうちに、ただ時間だけが過ぎ、歳をとる。みんなそうだよ。そんなもんだよって。自分の好きなように生きられる人、思いを生きられる人なんて、ごく一部の特別な人なんだと。

人生に正解なんてない。あるとしたら、それは人の数だけある。

でも、たった一つ言えるのは、自分が自分の人生に満足しているかは、自分だけが知っているということ。

傍から見たら、羨ましく思えるような華々しい経歴だって、その実、どうなのかは誰にもわからない。人知れず悩んでいるかもしれないし、心のあり様は、他人にはわからない。あたかも良さそうに見せて、外で嘘をつくことは出来る。他人から見られる目においては。でも、自分の目には嘘をつけない。

自分が正直に生きているか、嘘をついているか、見て見ぬふりをしているか、誰よりも、よく知っている。

だけど、直視するのは辛い。だから、あの人は、経歴が違う、育った環境が全然違う、実績が違う、経験が違う、って、自分にはないものを理由にして、今の自分を正当化しようとする。

 

だが、残酷かな人生は。ある時、同じような状況なのに、いやそれよりもっと辛く、はるかにしんどい状況だったのに、決心をして、見事に自分の花を咲かせている人の存在を知る。その時、自分が避けてきたこと、直面せずに、見ないできたことを、目前に激しく突き付けられる。悔しくて、情けなくて、身がちぎれそうなほどに。

でも、どうだろう。もし本当に諦めているのなら、はたまた、自分の人生はこれで良いと心から思えているなら、心がかき乱されることなんてない。かき乱されるということは、本当は自分もそうできたことを知っているからだ。自分にもできる力があった。本当は自分にだって、できた。少なくともチャレンジすることはできたはず。そこから違う展開の人生が始まっていたかもしれない。そう、本当はわかっている。

自分にもできる。自分にだって、それだけの力があるということを。それが真実なのだから。

でも、信じてあげなかったのは、誰だろう?

挑戦しなかったのは、誰だろう?

言い訳を考えたのは、誰だろう?誰だろうね?

もう今からじゃ遅い?この年齢で恥ずかしい?

知っている?時間は、本当は連続していないということ。

ぶつ切りの映画のフィルムみたいに、毎瞬、毎瞬、切り替わってる。

だから、今からだって遅くはない。

過ぎた時間を取り戻すことはできないけれど、過ぎた時間を倍返しできる位に、これからの未来に幸せをつくることを選ぶことはできる。満足する生活を送るんだと決めて、そこに向かって、歩き始めたらいい。

本当に欲しいものを手に入れようよ。それだけの能力を、誰もが備えて、生まれてきているのだから。やり方は様々だけど、自分の生まれ持った特性という個性をいかして、それを発揮して、自分に見せてあげようよ。

誰にって、他人に見せるんじゃないよ。家族でもない。愛する人や、パートナーでもない。自分に見せるんだよ!最高に輝く姿をさ。自分に見せてあげるんだよ。

そうしたらね。家族はもちろん喜ぶ。出会う人、関わる人だって、良い刺激になって、あ~、私も頑張ろう!出来るんだ!って、思ってもらえるかもしれないよね。自分を輝かせることで、他の人が自らの手で自分のことを輝かせようと、その人の個性を発揮させることに繋がる。それって素敵じゃない?

私も幸せ。相手も幸せ。そんな風に、幸せを、笑顔を、“ありがとう~、貴方に出会えて良かったよ”って、心から思える関係を築けたら、最高だよね。嬉しいよね。感謝がずっと循環していく。相手が輝くから、自分ももっと輝ける。その輝きを見て、相手もますます磨きがかかり、互いにどんどん輝きを増していく。素晴らしい世界じゃない?それぞれの個性を存分に発揮して、互いに応援し合い、賞賛し合あう。

だからね、まずは、自分に見せてあげようよ。今から始められることで良いのだから。最初の一歩は小さくても、日々、ちょっとずつ満足の時間を増やして、“あ~、やっぱり出来たんだ”って、“だからこれまで、こんな人生を歩んできたんだ”って、“全部意味があったんだ”って、本当に素晴らしい人生だったて言い終えるその日まで、ずっと自分を諦めずに、最高の自分を、自分に見せ続けてあげようよ。

これは、私から私に贈るメッセージ。

どんな時も、自分に力があることを、忘れて欲しくないから。必ずできるって、自分のことを信じて欲しいから。厳しいかもしれないけど、私から、私への最大の応援歌だよ。

いつだって思い出してね。嘘ついてるな、自己正当化してるな、本音じゃないな、逃げてるな、苦しいな、と思った時。

本当は、その時がチャンスで、それは幸運の女神の導きなんだということを。

いつも応援しているあなたの最大の理解者で支援者の、私より。