忍者レッドのブログ -47ページ目

児童救えず「悔しいね」

新聞記事より

児童救えず「悔しいね」

宮城・大川小 勤務の夫死亡
「我が子のように接していた」

毛布に包まれ、ブルーシートの上に横たわる天の顔は眠っているようだった。「目の前の子どもたちを助けてあげられなくて、本当に悔しかったね」。検視が終わっておらず、触れることもできないその顔を見て、思った。

宮城県石巻市の小学校に勤務する女性教諭。夫は同じ市内にある大川小の教諭だった。

女性教諭はちょうどクラスの子どもを帰すところだった。突然の大きな揺れ。子どもを保護者に引き渡した後は、学校に泊まり込み、避難住民の対応に当たった。携帯電話が使えず、天と連絡が取れなかったが「私と同じように、学校に付きっきりなんだろう」と、あまり気に留めなかった。

数日たち、大川小に多数の犠牲者が出ていることを知る。何カ所も避難所を回った。出会った大川小の保護者から、多くの教員や児童が津波で流されたと聞き、目の前が真っ暗に。「けがをしているのかもしれないよ」。付き添ってくれた同僚の先生から励まされ、訪れた病院にも、天の姿はなかった。

3月17日、知らせを受け、遺体安置所に。顔を見るまでは信じたくなかった。何かの間違いだろうと思っていた。遺体に添えられた段ボールの断片には、カタカナで書かれた夫の名前。「茶当に駄目だったんだ」。
髪の毛は汚れていたが、きれいな顔だった。わが子を捜す親が天を見つけ、泥をぬぐってくれたと、後で聞いた。

大学時代に知り合い、やがて結婚。人生の半分を共に歩んだ。同僚の先生を誘って教材研究をするなど熱心で、「白分の子どもよりかわいがっているんじゃないの」とからかうほど、クラスの子どもたちを愛していた。

後日、訪れた大川小。職員室、そして天が教壇に立っていた教室へ。好きだった図画工作の資料。手書きにこだわった学級通信。いくつもの形見を手に取った。

ぽっかりとあいた心の穴。そんなさなかに、石巻市の別の小学校への異動を命じられた。「どうしてこんな時に」。教え子たちの顔が浮かんだ。

4月13日の前任校の登校日では、はしゃぐ子どもたちに目を細めたが、時折暗い表情を見せる子や、夜眠れないという子が気になった。「もっともっと話を聞いてあげたいのに」。保護者にも「どうして出て行くんですか」と泣かれた。

赴任した小学校も、また被災地だ。多くの避難住民が同居し、家族や家を失った子どもたちが自分を待っている。

泣いている場合じゃない。めげている時じゃない。自分に言い聞かせるが、いつまで頑張れるのか。時々、心が折れそうになる。校庭に立つ桜を見て思う。「津波が来ても桜は咲くんだな。負けなかったんだな」