忍者レッドのブログ -38ページ目

日課はプール水運び

新聞記事より

今避難所は
日課はプール水運び>


宮城県石巻市渡波(わたのは)中学校の避難所ではライフラインが回復せず、不便な集団生活の上に、さらなる不便を強いられています。
救援・工事車両が砂ぽこりをあげて行き交う道沿いの避難所の中は静かでした。聞こえるのは2台の発電機のブーンという音だけ。
鉄筋校舎3階の4教室に43人が暮らしています。

電力は充電器
18日までの電力は小さな充電器のみでした。トイレの電灯は一晩中ともすものの、教室は午後8侍まで。いま発電機が加わりましたが、軽油を1日70㍍使うので午後9時には消灯します。夕食は暗くなる前の4時、5時に済ませます。

食事は、1日1回トラック便で、夕食用のおにぎりと朝食用の菓子パンが運ばれてきます。夕食は交代で炊事班がプロパンガスで汁物やサラダなどを作ります。「もう、1カ月で一生分のパンとおにぎりを食べた」と、避難所での食生活の単調さを訴える声が聞かれました。

夕食前、住民総出で校舎脇の学校プールにたまった水をバケツリレーで、3階トイレ前の廊下にある七つの大バケツにためます。トイレを使った後、その水を流します。

洗濯機は1台。バケツに水をくんで入れる苦労を女性が語ります。その女性は、「お風呂は自衛隊が1日何回か迎えに来てくれていたが、先日帰ってしまって今は入れてない。これからはどうなるかもわからない」。

横山茂さん(56)は「情報は新聞とラジオと自分が歩いて見た事だけ。テレビ画面はあの時以来まったく見ていない」と話します。

そんな住民のささやかな楽しみとなっているのは、時折校舎入り口スペースで開く、救援物資の〝市″です。送られた数十箱もの段ボール箱を開けて並べ、気に入った服や日用品を手に入れます。

24日も2歳の子どもが、小さな麦わら帽子を見つけて、そのかわいいしぐさが周りを和ませました。

幼児用浴衣を両手で広げてじっと見ていた女性がいました。記者の問いかけに「孫を津波で亡くしたんです」とつぶやき、「娘も津波で。今は話すことはない」と押し黙りました。

避難所の住民のほとんどは津波で家を流され、身近な人を亡くしています。海岸直近の1、2階の校舎は津波が突き抜けた〝空洞″のまま、海風が吹き抜けます。


1人2人減り
津波の恐怖の地にありながら、高齢の女性は「こんなに食べる物をいただいて本当にありがたいことです」と全国へ感謝の言葉を忘れません。そして、こう明かします。「避難生活はもう疲れました」

同避難所では150人いた被災者が1人減り、2入滅り、取材した時点で4分の1となっていました。

校庭の桜が満開となった避難所で、畑中健三さん(58)は、「会社も流されて失業状態、いつ復職できるかも分からない。家は流されて形がない。仮設住宅は抽選がどうなっているか、いつ入れるかどうかも分からない。この避難所以外、行くところがないのです」と話しました。
                  (小林信治)