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残ることへの不安

新聞記事より

残ることへの不安
いま避難所は  岩 手
カキの養殖など漁業が盛んな岩手県山田町。大震災からlカ月半が経過しましたが、がれきの山はなくなりません。がれきの間の細道を抜け、避難所の大沢小学校を訪ねました。家や大切な人、働く場所を失った人たちが悲痛な思いを抱えながら生活していました。

学校はすでに始まり、特別教室が避難住民の生活の場です。仕切りはありません。

考える力が…
津波に家を流されたある女性(67)は、「何年後に自分がどうなっているのかと考える力は、(震災のあった)3月11日でもって失いました」と淡々と語りました。

女性は眠れないため精神安定剤を飲んでいます。「とりあえず仮設住宅を早く」。それが敵いです。避難所には住民や漁業者などが102人(23日時点)。

水道、電気、ガスは復旧し、支援物資で朝と昼の食事をつくります。ご飯とみそ汁に、おひたしやつくだ煮、カレーのときも。夜は盛岡市から仕出し弁当が来ます。

お風呂はありません。1日に2回、バスで別の避難所にある仮設風呂へ。下水処理施設が復旧していないためトイレはくみ水で流します。

県外から来ている赤十字の医療チームが衛生面を管理。町役場職員1人と町外自治体職員3人、避難者のまとめ役数人で避難所を運営しています。

運営者側は「物資は足りている」と言います。しかし、「明日には配ぜん担当だった一家が出ていく。まとめ役や力持ちの動ける人たちが出て行き、動けない高齢者だけが残ったらどうなるのか」と今後の不安を語りました。


養殖続けたい
避難所に戻ってきた人もいました。夫と36年間、カキの養殖を営んできた鈴木むつ子さん(56)です。一時、埼玉県の妹の家に身を寄せていました。

鈴木さんの家や船、養殖施設・機械は津波に流され、大事に育てた出荷直前のカキも全滅。夫や息子、母親は無事でしたが、仲の良い隣人、親戚夫婦は津波で亡くなりました。

「借金がかさむばかりだからカキの養殖はやめようと思います。私はパートでも」と鈴木さん。「妹の住むところは良いところだけど、私の居場所じゃないと感じました」。

埼玉の定食屋でカキフライを績みましたが、カキ本来の味とはほど遠いものでした。
「本当はカキ(養殖)をやりたい。するんと口に入って潮の味がする新鮮なカキを食べさせたい。でも食べさせられない。個人や産業への補償をしてほしい。大変だけどこの土地が私の居場所です」。

あふれ出た涙は止まりませんでした。
(洞口昇華)
(おわり)