ひとつ前の当ブログで、1968年、高卒2年目の江夏豊投手(阪神)が驚異的なペースで三振を奪った話を書きました。それまでの日本記録(稲尾和久さんの353奪三振)のタイ記録を王貞治選手から奪うと、新記録も王選手から奪おうと打者一巡打たせてとったという有名なエピソードもあげました。

僕も昔も今も、ジャイアンツ嫌いなので、江夏投手が巨人戦でバッタバッタと三振をとるピッチングに胸がすく思いでした。ONをはじめとする強力打線に対し、一人で立ち向かっている感じがありましたね。とにかく、当時のタイガースは打力に劣るチームだったのです。なかなか援護がもらえず、江夏投手の高卒1年目は防御率2.74ながら12勝13敗と負け越しているのです。

そんなチームで孤軍奮闘していた江夏投手が、延長11回ノーヒットノーランで自らホームランを打った試合もよく覚えています。1973年8月30日でした。相手は中日ドラゴンズで、翌年1974年に優勝を果たすことになるメンバーがほぼ揃っている時期でした。高木守道さんや、谷沢健一さん、井上弘昭さん、木俣達彦さん、島谷金二さん……といった選手が並んでいます。江夏投手はフォアボールを2個与えただけで完璧なピッチング、9回投げ終えてヒットを一本も許していませんでしたが、味方打線も松本幸行投手を打ちあぐね0点。松本投手は一見、誰でも打てそうな緩い球ですが早いテンポでどんどん投げこんでくる左腕投手でしたが、術中にはまっていたのです。

その3年前、江夏投手は1970年には同じドラゴンズ相手の試合で、2回にヒット(高木守道さんだったかな)を打たれたあと、3回から延長13回までパーフェクトに抑えながら、やはり味方の援護がなく、延長14回に木俣さんにホームランを打たれ敗戦投手になったこともあったので、イヤな予感もしたのです。また、同じように報われないで終わってしまうのか……と。

しかし、延長11回裏、江夏さんがサヨナラホームランを放って、決着をつけたのです!翌日の新聞が「野球はひとりでも出来る!」という見出しだったのを鮮明に覚えています。

オールスター戦での9連続奪三振をとったときも、江夏さんはホームランも打ってます。このとき打たれたパリーグの先発・米田哲也投手は家族を招待していたので、「おい、豊、あんまり恥かかせるなよ」と言ったと伝えられています。江夏さん、バッティングにも非凡な才能があったのです。(ジャッピー!編集長)

AD