#STAY HOME
マスクの中がムレはじめたぶる子です。
「マスクが暑い時期になってきたな。」
って、隣の席のおじいちゃんに言われてますますそう思えた。
言わないで(笑)。気づいてたけど口に出さないようにしてたのに(笑)。
マスクはまだ脱げませんが、会社でかぶっていた猫を最近脱ぎ捨てました。
素の自分を隠そうとすると、どうも相手によって対応に差異が生まれ、その誤差をどう回収していいかわかんなくなる。
ってこと、ありませんか?
例えば同じような立場のAさんとBさんがいて、
Aさんとは話しやすいからざっくばらんに話してて、一方でBさんには神経質に言葉を選んでたりして、
でもBさんが、Aさんと私の会話を聞いてたらBさんなりに思うことはあるだろうしまた逆も然り。
だから最近、深く考えずに素でふるまう。そうすると帳尻を合わせなくてよい。
なんてラクなんだ。
仕事にしても人間関係にしても、完璧を目指せるわけもなく、
人間らしい「ゆらぎ」と、のりしろ分の余白すなわち「あそび」部分のある生き方を目指したらどれだけラクで豊かになるだろうと、
そんなことを、庭でブラブラゆらゆらする物体から学ぶのです。
ホタルブクロが満開になりつつあります。
風で花がゆらゆら揺れると、花粉が落ちたり飛んだり。
また鳥や虫がその存在に気付く。
共存共栄のためには、ゆらぎって必要なんだな。
テラスに吊るした雑貨もゆらゆら風で揺れてます。
生体リズムと深くかかわるとされている1/fのゆらぎが、心のリラックスすなわち自律神経に深くかかわることは世界でも研究されている。
(とwikipediaに書いてある。)
庭で探すと、木漏れ日、木々のゆらぎ、そしてサワサワと木々が間接的に鳴らす風の音。
私たちは無意識下で癒されている。
不規則なんだけど、実は規則的なものに癒しを感じている私たち。
イチゴの生り方もそうだし、マリメッコのUnikkoだってそうだ。
曲線と直線があって
規則的なんだけどどこか不規則で
そういう、一見対局に見える側面をかねあわせている自然美。
庭にあると癒されるし、そういう人間になりたいな。
「いい傘を 買ってもなくす いつもかな」
「かわいいと ガラ物買って 服もガラ」
「マグカップ 会社のおじさん 『それ金魚?』」
「北欧が 好きで買ったが サバ塩焼き」(字余り)
ぶる子