昨日は二回忌でした。
私は小田原へ帰ってあげることができませんでした。淡々とすべきことをこなして時計の針を見上げたら夕方でした。
琉夏の呼吸が止まってしまったその瞬間だけは手を止めて2年前の6月21日のお昼寸前を迎えました。
私は見殺しにしたのではないか…その気持ちは消えたことはありません。
2019年の春先に私は琉夏の未来透視をしました。
そのとき琉夏には未来が見えませんでした。未来が真っ暗でした。
2019年の冬も真夏も見えなかったのです。あれ?あれ?何度も未来透視をしても真っ暗だったのです。
けれど私は、動物の未来透視を過去にした経験がなく未来が見えないことが人間の未来透視と同じことで、死を意味することを学んでいませんでした。
春先に未来透視をした2年前に琉夏が近い未来に死んでしまうことに気づいていたら琉夏は助かったのではないか…。
理由はもうひとりあります。
ある人が2019年春に私へこう言いました。
「顔が丸くなったね」
つまり太ったことで体重オーバーをしたことを教えてくれていました。
私が食べると琉夏は真似ました。飼い主が食べるのをやめない限りは、琉夏も何かを口にしていました。ふたりで好きなだけ食べて都会暮らしのなかでグルメ三昧をしました。
少し食べる量に気をつけていたら事故は起きませんでした。
私の過去の人生は壮絶です。1万人がいても数えきれない壮絶体験をされた方は知りません。壮絶が幕を閉じて、幸せ暮らしは好きなだけ好きなことだけにしました。
その絶頂のなかで琉夏の事故は起きました。
過去に風邪やおなかの具合が悪くなったことがないインコでした。怪我を数回しただけで、飼い主へ肝を冷やす想いをさせて、動物病院へ駆け込むこともありませんでした。
未来透視をしたときに「見えなかった未来」を「死」と把握できていたら助けられたのです。
見殺しにしてしまった悔いは消えることはありません。予見者なのにいちばん大切な命を助けることができなかったのですから最大の悔いです。
なのに…
二回忌に涙は出ることもなく心を乱すこともなく過ごしました。心の整理がついて私は生きていたことに改めて気づきました。
2年前の彼が亡くなった日は、自分が生きられる自信を失って途方に暮れました。
琉夏が亡くなって2週間後に私は、琉夏の愛用品をすべて片付けました。自分の視界から消して仕舞う作業をしました。
わざと作業をしました。作業をする手の甲には涙がポタポタ落ちてきました。それでも片付けました。
自分が悲しみと寂しさで壊れてしまうことで、ふたりでこれまで築き上げた暮らしを失ってしまうことを避けたかったからです。
私は片付けをした日から少しずつ気持ちを立て直して再び仕事を再開させて、自分の人生にエンジンをかけ始めました。
琉夏の居なくなってしまった部屋に帰ることがしんどくて、ぽっかり空いた心の空白に隙間風が冷たくて凍てつく時もありました。
負けたくなかったし諦めたくなかったのです。私はふたりで一緒に築き上げてきた暮らしをどうしても守りたくて一心不乱に仕事をしました。
…そうして2年が経ったのです。
ただ…ただ…
どんなに頑張っても琉夏には会えません。
触りたくて抱きしめたくて、話したくて、声が聞きたくて、足を握って握手をしたくて、冠羽に触れてカキカキしたくてもどれも琉夏では叶いません。
琉夏と現世で再会をしてもう一回という願いは
どんなに求めても
どんなに呼んでも
どんなに待っていても
どんなことをしても叶いません。
それが命が終わってしまうことです。
なんで?
なんで?
なんで会えないの?
神様…もう一度だけ叶えてくださいと祈っても叶いません。
それが命が終わってしまうことです。
それが永遠のさよならです。
私は来世があるなら、もう一度、同じオカメインコの琉夏に会いたいです。
世界でいちばん愛しています…
いまも…これからもずっとです。
あなたが愛した誰かを失っても、亡者になった相手はあなたが壊れてしまうほど悲嘆している姿を望みません。
泣いて泣いて泣いたら少しずつ立ち上がってくださいね。あなたの大切な亡者の方はあなたの笑顔を望みますよ。
ブログ繋がりみんなから、たくさん花束や果物や野菜などなど、琉夏の好物が届きました。お仕事の忙しい私を気遣い、高級豚肉やお米まで届きました。2年の間に立ち上がっていくときに支えてくださった友達のおかげです。ありがとうございました。
今日も笑笑で過ごしてくださいね。