夢の中で琉夏に逢いたいなあと思うときがあります。琉夏が消えてからの出来事を小休止もせずにずっとしゃべりたいなと思うことがあります。
しかし残念なことに琉夏と夢で逢える願いは今年に入って一度も叶いません。
わたしの心の引き出しの中へ整理整頓されて仕舞われているからです。
ZARDの「君がいない」あの曲のフレーズがよく口笛になって思わず出てきます。それでも夢で逢うことがなくなりました。
昨日や一昨日や夢に出てくる人や景色が変わりました。
私は予知夢をみます。予見者にとって予知夢は朝方に「知らせ」として届きます。
自分のことを含め他人に関しても顔も声も聴いたことのない人のことまで送られます。
見るときの感覚は例えばブロガーさまなら「プロフイール写真」がそのまま夢の中の意味とおなじくらい記憶へ刻みこまれます。
わたしの最近の見る夢は朝方ではないので予知夢ではありません。
ただ心は正直だと痛感しています。
自分の心の空白に真新しい人がすっぽり住み始めています。
夢で自分を認めています。
いま命があって生きている人を心が求めている証です。
琉夏が思い出に変わろうとしています。
素敵なことです。
琉夏は大喜びしてくれます。
どんなに愛する者の思い出も時間が経過すると、やっぱり思い出に変わってしまいます。
過去の人や過去の出来事になってゆきます。
夢で逢いたいと願いながら整理をつけて前を向いて歩いていることが。いつかすべての出来事が思い出に変わることがすごく悲しくなります。
琉夏の望むことは飼い主の笑顔です。
涙を嫌うインコで俯いて元気がないのも嫌がるインコでしたから自分ではなくて新しい誰かと笑顔で生きる姿を望みます。
↓新しい未来へ歩き出す自分を抑えていたり、嫌悪すれば写真のように睨んで安らかな眠りではいられなくなるインコです。
わたしは人生の大半を人間より動物に囲まれた生き方をしてきました。その分だけ無菌室の魂の部分が年齢の割に多々存在します。
きっとそれは最期は琉夏が死守してくれた長所で大事に大事にこれからは自分で守らなければならないものです。
わたしはよく公園で近所の小学生の子供達と泥だらけになるまで砂場で遊んだり、木登りをしたりします。同年代の友達と待ち合わせをしてコーヒーを飲んでも結局、友達の子供達と仲良しになって遊びに行ってしまいます。
琉夏が亡くなり1年目です。
3年後、5年後どうなっていたいのか・・・ゴールを決めてこれからも走り続けます。
洞窟潜水、アメリカ縦断、登頂しきれてない世界の山々を制覇するなどまだまだあります。
そして自分の心に素直になることをやめません。
アクセルとブレーキは同時に踏まない生き方をあなたはしていますか??
同時に踏むと負の感情を乗せたままアクセルを踏むので、人生の流れはスムーズにいきません。
アクセルだけを踏み込んで前へ前へ歩へ生きるとき爽快でワクワクします!