琉夏はブロッコリーが大好きでした。
野菜の中でダントツに好物がブロッコリーでした。
キャベツや小松菜などの野菜を食べていましたがブロッコリーだけは食いつくときに頬を膨らませて頬張ったときの嬉しさは格別でした。
見ている飼い主を楽しませてくれました。
嘴まわりにいっぱいブロッコリーをつけて、濃厚緑が染み込んだり、可愛かった…。
わたしは彼が生きていたときには必ず新鮮な無農薬のブロッコリーを買っていました。
しかし琉夏が亡くなった直後でした。
大学の講義の後に友人と待ち合わせをして夕飯を食べに行った日でした。
そのときのサラダにブロッコリーが入っていました。
わたしはブロッコリーを見つめながら「琉夏が好きだった。大好きだった。」そのひとことを友達にこぼしました。
すると…涙がとめどなく溢れていました。
わたしは琉夏が亡くなったあとにブロッコリーを見れなくなっていました。
だから買わなかった。買えませんでした。
彼との記憶の断片を受け止められなくて居なくなってしまった現実が受け入れられなくて買えませんでした。
わたしは、お店でブロッコリーを見た日は食事もしないまんま泣いて泣いてお店を後にしました。
ひとり歩き始めました。
いっしょにいた友達を気遣う余裕などまったくありませんでした。
歩いていると琉夏の鳴き声が耳について離れなくなりました。次第に真夏の景色がどんどん遠のいていきました。車の音も電車の走る音も人の声もすべてが聞こえなくなってしまったのをいまでもよく覚えています。
なんで?
なんで琉夏…死んじゃったの?
誰がそばにいても、友達がいても、琉夏が居ないとわたしはひとりぼっちだよ。るか…そんなことを言って道端でカッコ悪すぎても涙が止まりませんでした。
あれから半年が過ぎました。
琉夏が亡くなったあと初めて自宅でブロッコリーを茹でました。
彼のための無農薬の野菜を買っていたお店で自分のために買い物をしました。
ブロッコリーや小松菜や白菜や人参やピーマンなど新鮮野菜を購入しました。
ブロッコリーを目にしたとき、食べたいなあ。
単純に思えたから買えました。
ブロッコリーを茹でていると必ずキッチンに立つ飼い主の肩に飛んできて、早く食べたいと急かす仕草を見せていた彼の表情は忘れません。
それでももう大丈夫でした。
ブロッコリーが茹で上がるころ琉夏の口がブロッコリーの緑色で染まっていた愛くるしい姿に笑顔になりました。
琉夏が消えてしまったのは、わたしの身体の一部が引き裂かれたのと同じです。痛くて痛くてどうにもならない傷みでした。
たまに前触れもなく彼が居ないってわかっているのに時折やってきます。
無性に会いたくなって、
無性に涙が溢れて、
無性にインコ臭を恋しくなる瞬間。
けれども涙が止まらなくなるなんてことはなくなりました。
たまにキラリと涙が出てきます。
愛してもらって愛して生きた時間のぶんだけたくさんありました。
これからもキラリ涙あると思うのです。
亡くなった直後はブロッコリーは悲しみでした。でも本当は楽しい思い出です。
楽しかった〜と思えるようになったことブロッコリーを食べられるようになったことがとても幸せでした。
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