琉夏は命が消える前にわたしへ最大の贈り物を遺して旅立ちました。
インコたちの原稿です。
創作していくなかで一番の難関は、始まりの部分です。始めが書けたらなんとか創り上げることが可能です。
2019年が明けて節分を過ぎたころから頭の中でイメージはわき始めました。
どんなストーリーを描いていくのか、インコたちをきらきら生き続けることのできる、笑顔になれるのか悩みました。
里親探し募集をみんなでしたこと。
インコ繋がりのブロガーさんと、動物病院リストで話したこと。
食べられてしまう雛たちのこと。
キバタンペットボトルのこと。
亡くなられたブロガーさんのインコさんたちのこと。
いっぱいインコたちがリアルにあっても壮大なきっかけが必要でした。
そこでわたしは琉夏を連れ出してあちこち旅に出たり雨の中を歩いたり、いろんな人と彼を再会させたりしました。
楽しそうに飼い主にどこまでもつきあい続けてくれました。
そして原稿に向かいはじめたのが3月でした。そこから電波をほとんど使わない生活でインコの世界にのめりこみました。
途中まで話しが流れるように創り上げて形になっていったのが彼の亡くなる少し前でした。
以前にもこんな経験をしたことがあります。
↓この本が本屋に並んだ最初の発売日2009年7月1日
当時、我が家には琉夏の前に飼っていたセキセイインコが2羽いました。
この本の原稿を書き上げたその夜に1羽目のブースケという男の子が亡くなりました。
そして、本を三省堂書店で見た発売日の朝に、2羽目のみどりという女の子のインコが命を落としました。
2羽のインコたちは、私が海難事故をおこしてオーストラリアと日本を行き来している時期に飼い始めました。
琉夏のようにいつもいつも隣りにいることができない子達でした。
2年の期間を他人任せに海外を渡り歩いていた時期もありました。
けれどセキセイの2羽のインコたちにとって飼い主はわたしだったのです。
世話をする人が交互に現われていてもどんなに離れていても私が彼らの飼い主だったことをインコたちが理解していてくれました。
この作品を書き始めた場所は北海道です。
友人の家で籠もりながら最初の部分を書き始めました。
作品の後半に登場する「まり」という女性のお部屋で書き始めました。
後半に登場する人物たちのお話は、ブログにたまに出てくるので、予想してくださる方もいると思います。
作品の半ばはアジアで書いて最終段階は日本で2羽のインコたちと書き上げました。
最後の行を打ち終わってわたしは、ブースケにこう言いました。
「ぶーすけ、書いた!!終わったよ」
「ぶーすけ!!」
彼を抱き上げて胸の上に乗せると彼はじっと私を見つめていました。
やはり琉夏と同じように心臓がどどどっときて、足が立たなくなりました。
書きあげて30分も経たないうちに彼は、私の胸の中で息を引き取りました。
彼の死因は、膵臓と脾臓と肝臓が弱って病死でした。
私の闘病寸前の病とおんなじ部分を患って亡くなりました。
みどりは、突然でした。
予想外の死でした。
わたしが大切に書き上げた作品や魂を込めた作品にはいつもインコたちがいっしょに生きていました。
インコさん達の命の奇跡は、飼い主さんへ注いでくれる愛情や友情として、人と人以上に絆が太くぴたりと結ぶ見えない糸がいつのまにか完成しています。
飼い主さんとインコにしかわかならい世界を贈り物として遺してくれます。
だからインコたちを失ったあとに、生きていかなきゃいけない飼い主さんの悲しみは耐えられないほどの苦痛を記憶に落としてしまうのかもしれません。
なかなか癒えにくいのかもしれません。
生きていたあの子やこの子のこと。
大切なあなたの小さな命はみんなあなたを愛していたものね。
インコたちとの愛ってやっぱり凄い!
飼うときはわからないんだけど、飼ったらハマるよね。彼らの温かさに首ったけになりますよね。
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