彼が恋しくて恋しくて
琉夏が居なくなって、2ケ月と少しが過ぎました。
その間に何の前触れもなく彼が恋しくなる瞬間が繰り返してやってきました。
時間の流れがいったん止まる。
まわりの空気が希薄になり、まわりの人々や事物が、すべて自分とは無縁のものと化してしまう。
そんな感覚です。
涙が流れるとか、そういうのはもうありません。
この唐突に訪れる会いたさや切なさや恋しさは彼を愛しているから起きる心の反応なんだと最近は受け入れるようになりました。
自分の命とおんなじくらい大切で自分の肉体が引き裂かれたような彼が消えた瞬間の「魔の扉」の記憶は雲がかかるようにぼんやりとすることもなくよく覚えています。
彼の数秒の心臓が止まる時に叫んだ「痛み」による声。いままで耳にしたことが一度もない悲鳴が数秒です。
彼は体調を亡くなるときまで崩したことが一度もありません。
飼い主とおんなじように、怪我をしたことは数回ありましたが、下痢をしたり風邪をひいたりなどなかったので彼が病気に伏せる姿は見たこともなかったのです。
これまでにも海や戦場やハーレムや離島やあちこちで、わたしは友を亡くしています。もちろん目の前から消えてしまった命も数多くあります。
それでもどんな死より重い体験が琉夏の死でした。
今痛烈に想うことは、ただひとつ。
生きてなきゃいけない。
どんなに嫌な奴
どんなに不快な人
面倒な友達
恨みつらみが重なってしまった家族関係
どんなに頑張っても勝てない人
個々にどんなふうに事情があっても死んだら会えない。相手に言葉を発することができるのは生きているから…。
いつか会いたいなあと心変わりをしたときに相手は生きてなかったら想いを伝えることも、伝えたい気持ちも伝えることが不可能になります。
もし琉夏がこの地球の何処かで息をしていて生がそのまま残っていたらまたいつか抱きしめて話せるという未来へ期待があります。
亡くなったいまはすべて叶わない場所へ行ってしまいました。
どんなに頑張ってもどんなに願ってもどんなに求めても黄色い冠羽を立てて、クリームホワイトの羽毛のボディーで、飼い主の名前を呼び捨てにしたり、ちゃん付けで呼んだりする姿には絶対に会えないのだから。
生きていることそのものが丸もうけです。
明日、死にたいなあ、学校へ行きたくないあなたへ
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