許す?許せない?あなたはどちら? | 引き寄せ豊かに暮らす方法 KAI&LUKA ~ちょっとだけ韓流DAYS~

引き寄せ豊かに暮らす方法 KAI&LUKA ~ちょっとだけ韓流DAYS~

好きなことだけに囲まれた暮らしをして14回死の淵から生還して健やに生きる秘訣や韓流ライフを紹介中。本業は韓国エンターテイメンツコンテンツ会社の代表&CEO。また人生のアドバイザーとして年間万人単位の相談案件を解決中。異端児インコとの漫画原作KAI&LUKA制作中!


料理は口に入れる前から料理。
家族のためを考えて料理する…


↓調味料はしっかり選びます。

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私の生活は2009年までの大半は海外。
海の事故の後もやはり海外だった…

慢性膵炎の兆候は確かにあったけれど
事故後はリハビリをして海へ。

プライベートの体調管理はずさんそのもの。
「自分の体のために料理をしよう」なんて考えた記憶がない。


 

 ある日、妹からオーストラリアに住む私へ連絡がきた。

「お母さんが居なくなった」



あの電話の頃から私の日本での生活と闘病生活が始まり、同時に母の離婚調停・認知症の始まりだった。

母の世話と自分の病と仕事の生活に
逃げ場はなく内臓痛みで床に転がろうと仕方ない。


 
14歳を最後に一度も「お母さん」と呼んでいない
母を

「あなた」と呼んでいた。
母との生活も約20年ぶり?くらい。
その期間に会いに行くことも数えるほど。
共に食事をした記憶は二回だけ。

 「お母さん」と呼ぶ存在ではなかった。

「あなた」と呼んでいた。
「同居人が住んでいる」と人には伝えていた。
友人にも母を会わせたくない…
世話をしながら心は完全に拒絶反応を起こす毎日だった。



けれど、私の心へ変化が去年の年末から現れた。

「可哀そうな人」
「歳を取った人」
「無理ばかりして生きてた人」
「弱い人」
「小さな靴、小さな体」

そう捉える感覚は不思議だった…

この世に生を受けた私の命の源は母から。
「ありがとう」は母を引き受けることでの恩返し。
私は縁切り最後にするつもりで引き受けた。


どんなに憎悪が渦巻いても生んでくれた母への感謝を親が生きているうちに・・・
ずっとどんな場所へ居ても消えることがなかったからだ。



昨日は早い勤務地からの帰宅で帰り道に母の服を選びに婦人服のお店をいくつも見て歩いた。

「どなたかへの贈り物ですか??」
「母へのです」

私は「母」と応える自分が嫌ではなかった。

私の中では母との過去を許してしまったのかもしれない。

親も人・・
人は時に不完全で自分しか見えなくなる・・
感情も穏やかさを失い子供たちを巻き込む・・

親も人間だから・・・



長く長く時がかかります。
許せるまで・・

許せない相手に「ありがとう」を伝えることができたとき

許せない!あのヤロー!!
そんな気持ちが消えて許せたら心が自由になる…


今ももちろん、母と一緒に暮らしています。
この母が、私の出版している半生記に登場している私の母親です。

母とは、今年は私と私の妹とお正月に泣きました。
そんなブログを書きましたよね。
今の私と母は、川の字で布団を並べて寝れる母子に戻っています。


あんな時代を過ごして乗り越えた私と私の妹と
私の母親です。


↓気候が悪いので久しぶりの休みに、たくさんの
薬草を混ぜてお茶を煮出しました。


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今は、
「お母さん」と呼んでいます。
もう気兼ねなく呼べますよ。
オーストラリアの母親も日本の母親も私の母…
産みの母と育ての母…

私には二人ともかけがえのない母親として存在しているのだから。

あなたは、途方もなく憎む友人や許せないでいる
家族を許せますか?

ありがとうより許すには途轍もないプライドを脱ぎ捨てることや、忍耐力が必要ですが

「楽」‼️になれますよ。

愛って、忍耐が伴うんですよね。


愛って、苦しくって、切なくって、優しくって
厳しくって、悔しくって、嬉しくって愛なんですよ。

ねっ…。





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