池大雅(いけのたいが)は、「絵の中で最もむずかしいところはどこか」の質問に対して、「何もかかないところが一番むずかしい」と答えたという。「かかないところ」とは、すなわち余白であり、余白も絵のうちであるということだ。言いかえれば、いかに余白を生かすかということが、東洋画の要訣ともいえる。

『浅間山真景図』 池大雅

 

また、余白の〈白〉は黒の動に対しの静であるともいわれる。これも東洋独特の「禅」の思想が根底にあるとも考えられる。それが『観るものに安らぎを与える』ことに通じるのだろう。

 

余白はまた、展開が自由な空間ともいえる。それは泰西名画を観るときの陶酔、感激とは異なった「安らぎの空間」として、我々の前に展開する。

 

禅の世界では「空すなわち無」であり、余白は「空」であり「空」は「無」の境地を意味する。これは、「本来無一物」に通じ無限の可能性を含んでいる。そこには未来があり、希望がある。そこには煩悩があってはならないはずである。

 

このことは、禅のみにとどまらず、水墨画や書道は勿論のこと、もっと発想を飛躍させるならば、伝統的に「簡素の美」を追求してきた茶道や華道、能、俳諧にも通じることかもしれない。