術後の面会 | 見えない翼

見えない翼

私達は誰もが夢に向って翔る“見えない翼”を持っています。しかし、多くの人々が夢を追う事を諦め、翔る事をいつしか忘れて・・・。
そんな世の中にあって、パラグライダーの世界一へ挑戦し続ける父と重度の障害を持ちながらも懸命に生きようとする息子の奮闘日記です。

<保育園> 晴れ

今日も暑い。

毎日、プール日和だ。

翔は元気に保育園へ行った。


川地は、保育園へ翔を送迎した後、

そのままいつも翔がお世話になっている整形外科病院へ行った。


海外遠征へ出発する前に、

この病院へ行った時に、翔と同じような症状で手術をする、

まさにその直前の子供と、そのお母さんに面会させて頂いた。



そして、今日は手術から2ヶ月後の定期検診とリハビリの日。

手術が成功した事は知っている。

要は手術によて、どれぐらい改善されたのかが知りたい。

その為に今日再び病院でお会いするのだ。


お母さんのご好意によって、診察室まで入れてもらえた。

勿論、プライベートな話もあるだろうから、

川地は入室する事など考えていなかった。

本当に感謝感激である。



院長先生は丹念に股関節の状態を調べた。

Hくんの太腿には、痛々しい手術跡が有ったが、

既に抜糸され、完治していた。


手術前の状態は、余り詳しく知らないが、

足はバレリーナのように緊張してクロスし、

本人が開きたくても開かない、所謂、麻痺した状態だったらしい。


しかし、素人目の川地でも分かるように、足の筋肉には緩みが有り、

先生が触れている所の皮膚は、その力に応じてしなやかに凹んでいた。

まだ、痛みが有るのか大きくは開けないが、

本人の意思で足が開こうとしていた。



印象的だったのは、Hくんがとても明るく、お喋りであることだ。

最初は、これが彼の姿なのかなと思った。

(以前に面会した時は、手術前だったので明るいわけはない)


しかし、お母さんの話では明らかに手術後に性格が変わったそうである。

それまで、無口だったHくんは積極的に喋るようになり、

冗談がバンバン飛び出すまでになった。

以前は翔と同じように手先が不器用だったのが、

最近は棒などを落とさず、ずっと握っているらしい。


これ以外にも、手術による二次成果と思われる話を多く聞くことができた。

更に、他にも手術を受けた子供やお母さんが集まってきて、

多くの良い話を聞く事が出来た。




さて、では翔には有効なのだろうか?

実は手術を受けた子供は皆、重症だったのだ。

関節が既に脱臼していたり、寸前だったり、

中にはそれまでの担当医が見放したケースもあった。


それに引き換え、翔は脱臼しているわけでなく、

緊張も日常茶飯事と言うわけでなく、

興奮していなければ、 「 力を抜きなさい! 」 と言うと

自分の意思で抜ける事が多い。


つまり、とても “ 中途半端 ” な状態なのだ。


もし、近い将来脱臼するというのなら、迷う事はなかっただろう。

しかし、セカンドオピニオン,サードオピニオンとも、

「 進行は見られない 」 と言うものだった。



一つ有力な情報が手に入った。

皆さん小さい頃(5歳ぐらい)までは、それ程麻痺は酷くなかったらしい。

つまり、小学校に入学した頃、

身体の成長が急激に進むのに連れて、麻痺が酷くなったらしい。


今年、翔は5歳。

決断を下さなければならない日は直ぐそこに来ているのかもしれない。



追伸

今日の午後は、保育園で話し合いも行われた。

“ 緊急時における対応の仕方の確認 ” と

“ 病院の先生の診察所見の伝達 ” が目的だ。