函館の思い出 | HAJIMEのひとりごと

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初めて北海道に上陸したのが、昭和47年(1972年)の初夏のこと。
小学校の修学旅行だった。


上陸地は青函連絡船で本州とつながり、北の玄関口と言われた函館であった。

青森までは、上野からやってくる急行「津軽」に貸し切りの客車が2両増結され、それが我々の車両だった。


鉄道趣味的に言うと、昭和46年に電化されたばかりの奥羽本線は最新鋭のED75 700番台の電気機関車が客車をけん引していた。
おそらく「津軽」の臨時増結車両は、オハ35とかオハフ33といった茶色の旧型客車だったように思う。


青森からは生まれて初めて乗る青函連絡船で、確か「松前丸」だった。
煙突がライトグリーンに塗られていたのを覚えている。
青森出港時には銅鑼が鳴らされ、船内に「蛍の光」のメロディが流れた。
汽車の旅と船の旅はこうも違うのかと思った。

船室は2等船室で座席と座敷(桟敷席)があって、自由席だった。
出航後、甲板に出て景色を見たりもしたが、船内の売店横で「三平汁」が売られているのも新鮮だった。


函館では、バスで観光。
昨日通った空港から函館市内に向かう道に、石川啄木像があったが、当時もそれを見学した記憶がある。
もう30年以上前なのに、函館の街は今も変わらぬ佇まいで、優しく旅人を迎えているのだと思った。


湯の川温泉の旅館に1泊し、翌日は函館のデパートで買い物。
当時から買い物好きだったわけではないが、バター飴やイカ徳利などを買った。
再び連絡船に乗って、青森まで3時間50分の船旅。


帰りは青い船体の「摩周丸」で、いまも函館桟橋に記念館となって係留されている。

当時の秋田の小学校は、仙台、松島が修学旅行の定番だったが、遠く函館まで行けたのはとてもよかったと当時思った。

函館に来て、とても懐かしい気持ちになったのである。



「摩周丸」を眼下に見る国際ホテルの客室にて。