以下、読売記事。
上野「聚楽台」が半世紀の歴史に幕、なじみ客が名残惜しむ (読売新聞)
JR上野駅前で半世紀にわたって集団就職の若者や観光客に親しまれてきたレストラン「聚楽台」が21日閉店した。入居しているビルが老朽化で取り壊されることになったためで、この日は昔なじみの客が詰めかけ、名残を惜しんだ。
聚楽台は懐かしい。子供の頃、秋田から夜行列車で上京したときなど、だいたいこの辺で朝食を食べたものである。
小学校低学年の頃は寝台特急「あけぼの」デビュー前(1970年運転開始)で、急行の「津軽」、「羽黒」、「鳥海」、「男鹿」などが定番だった。確かいつからか「羽黒」が「鳥海」に統合され、「鳥海」には昼行便もあったことから、夜行は「鳥海3号」になっていたような記憶もある。この羽越線、上越線経由上野行き急行に乗ることが多かった。
そして成人してからの思い出も聚楽台にはある。祖父母が上京して来たとき、上野で会ったのである。
確か昭和60(1985)年の秋、祖父母と妻と私の4人が聚楽台で会って食事した。天ぷら定食をごちそうになった記憶がある。
時期を覚えているのは、その時妻のお腹には長男がいて、生まれてくる子供の話をしたからだ。
祖父母も1992年、1994年に相次いで亡くなったが、当時は元気だった。
聚楽台を最後に訪れたのは、1993年頃。長男と次男を連れて上野動物園に行った帰りに、ここでソフトクリームを食べた。いずれも食べ物の記憶で繋がっているのが、私らしいというべきなのか・・。
大阪の「食い倒れ」も閉店、そして「聚楽台」もほぼ時を同じくして消えるというのは巡り合わせのようなものかもしれないし、それだけ世の中が変化していることの表れだろう。